・・・山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく色づき初めたほどであり、ずっと下の方はただ深浅さまざまの緑に染め分けられ、ほんのところどころに何かの黄葉を点綴しているだけ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・というような純文芸雑誌が現われて、露伴紅葉等多数の新しい作家があたかもプレヤデスの諸星のごとく輝き、山田美妙のごとき彗星が現われて消え、一葉女史をはじめて多数の閨秀作者が秋の野の草花のように咲きそろっていた。外国文学では流行していたアーヴィ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・崖の下り口に立つ松の間の、楓は、その紅葉が今では汚い枯葉になって、紛々として飛び散る。縁先の敷石の上に置いた盆栽のには一二枚の葉が血のように紅葉したまま残って居た。父が書斎の丸窓外に、八手の葉は墨より黒く、玉の様な其の花は蒼白く輝き、南天の・・・ 永井荷風 「狐」
・・・誌上に誰やらの作った明治小説史と、紅葉山人の短篇小説『取舵』などの掲載せられていた事を記憶している。 二月になって、もとのように神田の或中学校へ通ったが、一週間たたぬ中またわるくなって、今度は三月の末まで起きられなかった。博文館が帝国文・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・上級では川上眉山、石橋思案、尾崎紅葉などがいた。紅葉はあまり学校のほうはできのよくない男で、交際も自分とはしなかった。それからしばらくすると紅葉の小説が名高くなりだした。僕はそのころは小説を書こうなんどとは夢にも思っていなかったが、なあにお・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 山姥の力餅売る薄かななど戯れつつ力餅の力を仮りて上ること一里余杉樅の大木道を夾み元箱根の一村目の下に見えて秋さびたるけしき仙源に入りたるが如し。 紅葉する木立もなしに山深し 千里の山嶺を攀じ幾片の白雲を踏み砕きて上・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 彼等はそこを出てから、ぶらぶら歩いて紅葉屋へ紅茶をのみに行った。「陽ちゃんも、いよいよここの御厄介になるようになっちゃったわね」 ふき子は、どこか亢奮した調子であった。「――本当にね」 楽しいような、悲しいような心持が・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・明治文学の中期、樋口一葉や紅葉その他の作品に、「もとは、れっきとした士族」という言葉が不思議と思われずに使われている。この身分感は、こんにち肉体文学はじめ世相のいたるところにある斜陽族趣味にまで投影して来ているのである。 日本の大学、な・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・明治の時代中ある短日月の間、文章と云えば、作に露伴紅葉四迷篁村緑雨美妙等があって、評に逍遥鴎外があるなどと云ったことがある。これは筆を執る人の間で唱えたのであるが、世間のものもそれに応じて、漫りに予を諸才子の中に算えるようになって居た。姑く・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・一歩家の外に出ると、これまで注意しなかったいろいろな樹が、美しく紅葉しかけている。それが毎日のように変わって行く。十月の下旬になると、周囲がいかにも華やかな、刺戟の多い気分になって、書斎の中に静かに落ちついていることができなくなった。これは・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫