・・・彼は、素直に伝右衛門の意をむかえて、当時内蔵助が仇家の細作を欺くために、法衣をまとって升屋の夕霧のもとへ通いつめた話を、事明細に話して聞かせた。「あの通り真面目な顔をしている内蔵助が、当時は里げしきと申す唄を作った事もございました。それ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 浅草はあんまりぞっとしないが、親愛なる旧友のいう事だから、僕も素直に賛成してさ。真っ昼間六区へ出かけたんだ。――」「すると活動写真の中にでもい合せたのか?」 今度はわたしが先くぐりをした。「活動写真ならばまだ好いが、メリイ・ゴ・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・クララを姉とも親とも慕う無邪気な、素直な、天使のように浄らかなアグネス。クララがこの二、三日ややともすると眼に涙をためているのを見て、自分も一緒に涙ぐんでいたアグネス。……そのアグネスの睫毛はいつでも涙で洗ったように美しかった。殊に色白なそ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ここは佃町よ、八幡様の前を素直に蓬莱橋を渡って、広ッ場を越した処だ、可いか、私は早船の船頭で七兵衛と謂うのだ。」「あの蓬莱橋を渡って、おや、そう、」と考える。「そうよ、知ってるか、姉やは近所かい。」「はい。……いいえ、」といって・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 四「それが何も、御新造様さえ素直に帰るといって下さりゃ、何でもないことだけれど、どうしても帰らないとおっしゃるんだもの。 お帰り遊ばさないたって、それで済むわけのものじゃあございません。一体どう遊ばす思召で・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・そうしたところに、子供の素直な発達が遂げられるのであります。 お母さんのいない家庭は、光りの射さない家庭のようにさびしいものです。たとえば、病気の時、お母さんは、子供の傍にいて、夜も碌々眠らずに、看病をして下さる。子供は、お母さんに抱か・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・それは自分の思想感情を、多少自由に表白することが出来るようになったところから、思想感情のありのまゝを伝える素直な純真な文章ではもの足らなくなって、強いて文字の面を修飾し誇張しようとする弊である。 修飾や誇張は、その人の思想感情が真に潤沢・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・ 女も今度は素直に盃を受けて、「そうですか、じゃ一つ頂戴しましょう。チョンボリ、ほんの真似だけにしといておくんなさいよ」「何だい卑怯なことを、お前も父の子じゃねえか」「だって、女の飲んだくれはあんまりドッとしないからね」「な・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・日記や随筆と変らぬ新人の作品が、その素直さを買われて小説として文壇に通用し、豊田正子、野沢富美子、直井潔、「新日本文学者」が推薦する「町工場」の作者などが出現すると、その素人の素直さにノスタルジアを感じて、狼狽してこれを賞讃しなければならぬ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それとも、来いと言う夫の命令に素直に従っているのだろうか。 電車の中では新吉の向い側に乗っていた二人の男が大声で話していた。「旧券の時に、市電の回数券を一万冊買うた奴がいるらしい」「へえ、巧いことを考えよったなア。一冊五円だから・・・ 織田作之助 「郷愁」
出典:青空文庫