・・・それは実際網膜の上にはっきりと映っているものだった。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちゃんと暗い中に映っていた。僕はふとこの間乗った自動車のラデ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・その人影は背に負った光をだんだん失いながら消えていった。網膜だけの感じになり、闇のなかの想像になり――ついにはその想像もふっつり断ち切れてしまった。そのとき私は『何処』というもののない闇に微かな戦慄を感じた。その闇のなかへ同じような絶望的な・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・ むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖して、その眼球を顕微鏡でもって調べその網膜に美しい一家団欒の光景が写されているのを見つけて、友人の小説家にそれを報告したところが、その小説家はたちどころにその不思議の現象に・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・それからまた、眼底網膜の視像の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが、しかしこれらのものと現在の映画――無声映画だけ考えても――との間の差別は単なる進化段階の差だけでなくてかなり本質的な差で・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 急速な運動を人間の目で見る場合には、たとえば暗中に振り回す線香の火のような場合ならば網膜の惰性のためにその光点は糸のように引き延ばされて見えるのであるが、普通の照明のもとに人間の運動などを見る場合だとその効果は少なくも心理的には感じら・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ しかしこういう程度の尺度やパースペクティーヴの変更はむしろ平凡なことであって、ある度まではわれわれの目の網膜のスクリーンの上で行なわれている技巧の延長のようなものであり、従ってわれわれに新しく教うるところは僅少であるが、真に驚異の念を・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ その上にわれわれの二つの目の網膜には映じていながら心の目には少しも見えなかったものをちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである。たとえばショーウィンドウの内の花を写すつもりでとった写真を見ると、とるつもりの夢にもなかったあら・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであたり近所を捜し回ることがある。手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 胃の腑の適当な充血と消化液の分泌、それから眼底網膜に映ずる適当な光像の刺激の系列、そんなものの複合作用から生じた一種特別な刺激が大脳に伝わって、そこでこうした特殊の幻覚を起こすのではないかと想像される。「胃の腑」と「詩」との間にはまだ・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・その場合には目のレンズはもはや光を収斂するレンズの役目をつとめることができなくなる。網膜も透明になれば光は吸収されない。吸収されない光のエネルギーはなんらの効果をも与えることができない。換言すれば「不可視人間」は自分自身が必然に完全な盲目で・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫