・・・一度は一人残っていると強情を張りましたので、母だけ先に帰りましたが、私は日の暮れかかりに縁先に立っていますと、叔母の家は山に拠って高く築きあげてありますから山里の暮れゆくのが見下されるのです。西の空は夕日の余光が水のように冴えて、山々は薄墨・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・私は庭に向いた四畳半の縁先へ鋏を持ち出して、よく延びやすい自分の爪を切った。 どうかすると、私は子供と一緒になって遊ぶような心も失ってしまい、自分の狭い四畳半に隠れ、庭の草木を友として、わずかにひとりを慰めようとした。子供は到底母親だけ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 夕方に、熊吉が用達から帰って来るまで、おげんは心の昂奮を沈めようとして、縁先から空の見える柱のところへ行って立ったり、庭の隅にある暗い山茶花の下を歩いて見たりした。年老いた身の寄せ場所もないような冷たく傷ましい心持が、親戚の厄介物とし・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・母屋の縁先で何匹かのカナリヤがやっきに囀り合っている。庭いっぱいの黄色い日向は彼らが吐きだしているのかと思われる。「ちょっといらっしてごらんなさいな。小さな鮒かしらたくさんいますわ」と、藤さんは眩しそうにこちらを見る。「だって下駄が・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・僕は玄関のわきの枝折戸をあけて、小庭をつき切り、縁先に立った。いないのですか、と聞いてみると、「ええ。」新聞から眼を離さずにそう答えた。下唇をつよく噛んで、不気嫌であった。「まだ風呂から帰らないのですか?」「そう。」「はて。・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・はじめ、私は、そのときの贋百姓の有様を小説に書いて、文章に手を入れていたら、ひょっこり庭へ、ごめん下さいまし、私は、このさきの温室から来ましたが、何か草花の球根でも、と言い、四十くらいの男が、おどおど縁先で笑っている。こないだの贋百姓とは、・・・ 太宰治 「市井喧争」
・・・ガチャンガチャンと妹が縁先の小さい池に食器類を投入する音が聞えた。 まさに、最悪の時期に襲来したのである。私は失明の子供を背負った。妻は下の男の子を背負い、共に敷蒲団一枚ずつかかえて走った。途中二、三度、路傍のどぶに退避し、十丁ほど行っ・・・ 太宰治 「薄明」
・・・かの鴎外にしても立派な口髭をはやして軍医総監という要職にありながら、やむにやまれず、不良の新聞記者と戦って共に縁先から落ちたのだ。私などは未だ三十歳を少し越えたばかりの群小作家のひとりに過ぎない。自重もくそも、あるもんか。なぜ、やらないのだ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・子供部屋の裏の縁先にある花壇には、強烈な正午過ぎの日光が眩しいように輝いて、草木の葉もうなだれているようであった。花豆の赤い花が火のように見えた。しかしこの部屋はいちばん風がよく吹き通すので、みんながここに集まっていた。子供等は寝転んで本を・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ これで筆を擱こうと思ってふと縁先の硝子障子から外を見ると、少しもう色付きかかった紅葉の枝に雀が一羽止ってしきりに羽根を繕っている。午過ぎの秋の日を一杯に浴びて気持のよさそうに羽根をふるわせたり、可愛らしい頭をかしげてみたりしている。紅・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
出典:青空文庫