・・・もっとも現在の日本の劇作家の多くは劇団という紋切型にあてはめて書いているのか、神経が荒いのか、書きなぐっているのか、味のある会話は書けない。若い世代でいい科白の書けるのは、最近なくなった森本薫氏ぐらいのもので、菊田一夫氏の書いている科白など・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・せっかく大事なお経にでもかかろうというような場合に、集った人に滑稽な感じを与えても困るからね」とその前の晩父が昨年の十一月郷里から持ってきた行李から羽織や袴を出してみて、私は笑いながら言ったりした。「そんなものではないですよ。これでけっ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・まだ若く研究に劫の経ない行一は、その性質にも似ず、首尾不首尾の波に支配されるのだ。夜、寝つけない頭のなかで、信子がきっと取返しがつかなくなる思いに苦しんだ。それに屈服する。それが行一にはもう取返しのつかぬことに思えた。「バッタバッタバッ・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 二郎は病を養うためにまた多少の経画あるがためにと述べたり、されどその経画なるものの委細は語らざりき。人々もまたこれを怪しまざるようなり。かれが支店の南洋にあるを知れる友らはかれ自らその所有の船に乗りて南洋に赴くを怪しまぬも理ならずや。・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・私は経験から考えてそうは思われない。女を知ることは青春の毒薬である。童貞が去るとともに青春は去るというも過言ではない。一度女を知った青年は娘に対して、至醇なる憧憬を発し得ない。その青春の夢はもはや浄らかであり得ない。肉体的快楽をたましいから・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・金刀比羅宮、男山八幡宮、天照皇大神宮、不動明王、妙法蓮華経、水天宮。――母は、多ければ多いほど、御利益があると思ったのだろう! それ等が、殆んど紙の正体が失われるくらいにすり切れていた。――まだある。別に、紙に包んだ奴が。彼はそれを開けてみ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・と夫が優しく答えたことなどは、いつの日にも無いことではあったが、それでも夫は神経が敏くて、受けこたえにまめで、誰に対っても自然と愛想好く、日々家へ帰って来る時立迎えると、こちらでもあちらを見る、あちらでもこちらを見る、イヤ、何も互にワザ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・尽きて火の滅する如く、自然に死に帰すということは、其実甚だ困難のことである、何となれば之が為めには、総ての疾病を防ぎ総ての禍災を避くべき完全の注意と方法と設備とを要するからである、今後幾百年かの星霜を経て、文明は益々進歩し、物質的には公衆衛・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 龍介の恵子に対する気持はいろいろな経過をふんでからの、それから出てきたものだった。かなり魅惑のある恵子が、カフェーの女であるということから受ける当然の事について気をもみだした、それが最初であった。彼はそういう女がいろいろゆがんだ筋道を・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ 秀吉金冠を戴きたりといえども五右衛門四天を着けたりといえども猿か友市生れた時は同じ乳呑児なり太閤たると大盗たると聾が聞かば音は異るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山村俊雄と申す・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
出典:青空文庫