・・・しかしMはいつのまにか湯帷子や眼鏡を着もの脱ぎ場へ置き、海水帽の上へ頬かぶりをしながら、ざぶざぶ浅瀬へはいって行った。「おい、はいる気かい?」「だってせっかく来たんじゃないか?」 Mは膝ほどある水の中に幾分か腰をかがめたなり、日・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・大事な妹を置きっぱなしにして来たのがたまらなく悲しくなりました。 その時Mが遥かむこうから一人の若い男の袖を引ぱってこっちに走って来ました。私はそれを見ると何もかも忘れてそっちの方に駈け出しました。若い男というのは、土地の者ではありまし・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 本堂正面の階に、斜めに腰掛けて六部一人、頭より高く笈をさし置きて、寺より出せしなるべし。その廚の方には人の気勢だになきを、日の色白く、梁の黒き中に、渠ただ一人渋茶のみて、打憩ろうていたりけり。 その、もの静に、謹みたる状して俯向く・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を叱して乳牛の避難にかかった。かねてここと見定めて置いた高架鉄道の線路に添うた高地に向って牛を引き出す手筈である。水深はなお腰に達しないくらいであるから、あえて困難というほどで・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・僕が畜生とまで嗅ぎつけた女にそんな優しみがあるのかと、上手下手を見分ける余裕もなく、僕はただぼんやり見惚れているうちに、「待つウ身にイ、つらーアき、置きイごたーアつ」も通り抜けて、終りになり、踊り手は畳に手を突いて、しとやかにお辞儀をし・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ハッと思って女中を呼んで聞くと、ツイたった今おいでになって、先刻は失礼した、宜しくいってくれというお言い置きで御座いますといった。 考えるとコッチはマダ無名の青年で、突然紹介状もなしに訪問したのだから一応用事を尋ねられるのが当然であるの・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・それでわれわれはその本に非常の価値を置きます。カーライルがわれわれに遺してくれたこの本は実にわれわれの貴ぶところでございます。しかしながらフランスの革命を書いたカーライルの生涯の実験を見ますと、この本よりかまだ立派なものがあります。その話は・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・またあなたは御自分に対して侮辱を加えた事のない第三者を侮辱して置きながら、その責を逃れようとなさる方でも決してありますまい。わたくしはあなたが、たびたび拳銃で射撃をなさる事を承っています。わたくしはこれまで武器というものを手にした事がありま・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・やがて箱車のふたが開いて、男ははたして飴チョコを取り出して、村の小さな駄菓子屋の店頭に置きました。また、ほかにもいろいろのお菓子を並べたのです。 駄菓子屋のおかみさんは、飴チョコを手に取りあげながら、「これは、みんな十銭の飴チョコな・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・「ここへ置きますよ」 配達夫の立ち去った後で、お光はようやく店に出て、框際の端書を拾って茶の間へ帰ったが、見ると自分の名宛で、差出人はかのお仙ちゃんなるその娘の母親。文言は例のお話の縁談について、明日ちょっとお伺いしたいが、お差支え・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫