・・・骨を折って自家の占め得た現代文壇における地位だけは、婉曲にほのめかして置きたい。ただしほのめかすだけである。傲慢に見えてはならない。 ピエエル・オオビュルナンは満足らしい気色で筆を擱いた。ぎごちなくなった指を伸ばして、出そうになった欠を・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・(家来来て桜実一皿を机の上に置き、バルコンの戸を鎖戸はまあ開けて置け。(間何をそんなに吃驚するのだ。家来。申上げても嘘だといっておしまいなさいましょう。(半ば独言ははあ、あの離座敷に隠れておったわい。主人。誰が。家来。何だかわた・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・さるを第三句に主眼を置きしゆえ結末弱くなりて振わず。「怒り落つる滝」などと結ぶが善し。島崎土夫主の軍人の中にあるに妹が手にかはる甲の袖まくら寝られぬ耳に聞くや夜嵐 上三句重く下二句軽く、瓢を倒にしたるの感あり。こ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・とのさまがえるはそこで小さなこしかけを一つ持って来て、自分の椅子の向う側に置きました。 それから棚から鉄の棒をおろして来て椅子へどっかり座って一ばんはじのあまがえるの緑色のあたまをこつんとたたきました。「おい。起きな。勘定を払うんだ・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・「ここへ置きますから、どうぞ上って下さい」「ええ、ありがと」 婆さんが出てから振返って見ると、朱塗りの丸盆の上に椀と飯茶碗と香物がのせられ、箱火鉢の傍の畳に直に置いてあった。陽子は立って行って盆を木箱の上にのせた。上り端の四畳の・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 農婦はその足もとに大きな手籠を置き家禽を地上に並べている。家禽は両脚を縛られたまま、赤い鶏冠をかしげて目をぎョろぎョろさしている。 彼らは感じのなさそうな顔のぼんやりしたふうで、買い手の値ぶみを聞いて、売り価を維持している。あるい・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・次にここに補って置きたいのは、翻訳のみに従事していた思軒と、後れて製作を出した魯庵とだ。漢詩和歌の擬古の裡に新機軸を出したものは姑く言わぬ。凡そ此等の人々は、皆多少今の文壇の創建に先だって、生埋の運命に迫られたものだ。それは丁度雑りものの賤・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・お母あ様の所へ出す手紙を、あなたはわたくしの部屋に落してお置きになったですねえ。 女。おや。そうでしたか。あの手紙はあなたの所で落しましたのですかねえ。 男。ええ。そうでした。ところでわたくしのためにはそれが好都合だったのです。翌日・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・悟性活動をするものが人間で、その悟性活動に感覚活動を根本的に置き代えるなどと云うことは絶対に赦さるべきことではない。或いは彼らの感覚的作物に対する貶称意味が感覚の外面的糊塗なるが故に感覚派の作物は無価値であると云うならば、それは要するに感覚・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・あれほど一字一句の使い方、置き方に気を配った歌、あれほど浮いたところのない、中味のびっしりとつまった歌、またあれほど濃かいニュアンスを出した歌が、技巧に熟達せずに作れるものではない。しかし先生の歌は、その巧みさを少しも感じさせないほど巧みな・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫