・・・「早水氏が是非こちらへ参れと云われるので、御邪魔とは思いながら、罷り出ました。」 伝右衛門は、座につくと、太い眉毛を動かしながら、日にやけた頬の筋肉を、今にも笑い出しそうに動かして、万遍なく一座を見廻した。これにつれて、書物を読んで・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・「御経を承わり申した嬉しさに、せめて一語なりとも御礼申そうとて、罷り出たのでござる。」 阿闍梨は不審らしく眉をよせた。「道命が法華経を読み奉るのは、常の事じゃ。今宵に限った事ではない。」「されば。」 道祖神は、ちょいと語・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・――橋をこっちへ、はい、あばよと、……ははは、――晩景から、また一稼ぎ、みっちりと稼げるだが、今日の飲代にさえありつけば、この上の欲はねえ。――罷り違ったにした処で、往生寂滅をするばかり。(ぐったりと叩頭して、頭の上へ硝子杯――お旦那、もう・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・何の蝸牛みたような住居だ、この中に踏み込んで、罷り違えば、殻を背負っても逃げられると、高を括って度胸が坐ったのでありますから、威勢よく突立って凜々とした大音声。「お頼み申す、お頼み申す! お頼み申す」 と続けざまに声を懸けたが、内は・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・往々考えが形而上的に走り、罷り違えば誇大妄想狂となんら選む所のないような夢幻的の思索に陥って、いつの間にか科学の領域を逸する虞がある。この意味の危険を避けるために、どこまでも科学の立脚地たる経験的事実を見失わぬようにしなければならない。論理・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・甚左衛門御旨に忤い、江戸御邸より逐電したる時、御近習を勤めいたる伝兵衛に、父を尋ね出して参れ、もし尋ね出さずして帰り候わば、父の代りに処刑いたすべしと仰せられ、伝兵衛諸国を遍歴せしに廻り合わざる趣にて罷り帰り候。三斎公その時死罪を顧みずして・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫