・・・しかもその又他人の中には肉親さえ交っていなかったことはない。 又 わたしは度たびこう思った。――「俺があの女に惚れた時にあの女も俺に惚れた通り、俺があの女を嫌いになった時にはあの女も俺を嫌いになれば善いのに。」 ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご新姐ござらっしゃる。」 と、泥でまぶしそうに、口の端を拳でおさえて、「――そのさ、担ぎ出しますに、石の直肌に縄を掛けるで、藁なり蓆なりの、花ものの草木を雪囲いにしますだね・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・いやな妄想がそれだ。肉親に不吉がありそうな、友達に裏切られているような妄想が不意に頭を擡げる。 ちょうどその時分は火事の多い時節であった。習慣で自分はよく近くの野原を散歩する。新しい家の普請が到るところにあった。自分はその辺りに転ってい・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・はそれですっかりその婆さんに牛耳られてしまったのであるが、その女の自分の咳に敏感であったことや、そんな薬のことなどを思い合わせてみると、吉田はその女は付添婦という商売がらではあるが、きっとその女の近い肉親にその病気のものを持っていたのにちが・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・という詩だけは、七五調の古い新体詩の形に束縛されつゝもさすがに肉親に関係することであるだけ、真情があふれている。旅順の城はほろぶともほろびずとても何事か君知るべきやあきびとの家のおきてになかりけり君死にたまふ・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・ 集って来た死者の肉親は、真蒼になって慌てながら、それでもひょっとすると、椀のように凹んだ中にでも生きているかも知れん。そんな僥倖をたのみにした。事実天井は、墜落する前、椀をさかさまにしたように、真中が窪めて掘り上げられていた。 皆・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・彼女は小山の家の方の人達から鋏を隠されたり小刀を隠されたりしたことを切なく思ったばかりでなく、肉親の弟達からさえ用心深い眼で見られることを悲しく思った。何のための上京か。そんなことぐらいは言わなくたって分っている、と彼女は思った。 到頭・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 死んだ直後のことも、あれこれ書いてお知らせするつもりでありましたが、ふと考えてみれば、そんな悲しさは、私に限らず、誰だって肉親に死なれたときには味うものにちがいないので、なんだか私の特権みたいに書き誇るのは、読者にすまないことみたいで・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・そうして、肉親。「ねえ、おまえは、やっぱり私の肉親に敗れたのだね。どうも、そうらしい。」 かず枝は、雑誌から眼を離さず、口早に答えた。「そうよ、あたしは、どうせ気にいられないお嫁よ。」「いや、そうばかりは言えないぞ。たしかに・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ ひと一人、くらい境遇に落ち込んだ場合、その肉親のうちの気の弱い者か、または、その友人のうちの口下手の者が、その責任を押しつけられ、犯しもせぬ罪を世人に謝し、なんとなく肩身のせまい思いをしているものである。それでは、いけない。 うっ・・・ 太宰治 「緒方氏を殺した者」
出典:青空文庫