・・・私は肉親を捨てて生きて居ります。友人も、ございません。いつも、ただ、あなた一人の作品だけを目当に生きて来ました。正直な告白のつもりであります。 あなたは、たしか、私よりも十五年、早くお生れの筈であります。二十年前に、私が家を飛び出し、こ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・多くの肉親の中で私ひとりが、さもしい貧乏人根性の、下等な醜い男になってしまったのだと、はっきり思い知らされて、私はひそかに苦笑していた。「便所は?」と私は聞いた。 英治さんは変な顔をした。「なあんだ、」北さんは笑って、「ご自分の・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・善は急げ、というユウモラスな言葉が胸に浮んで、それから、だしぬけに二、三の肉親の身の上が思い出され、私は道のつづきのように路傍の雑木林へはいっていった。ゆるい勾配の、小高い岡になっていて、風は、いまだにおさまらず、さっさつと雑木の枝を鳴らし・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・私は、このごろ、肉親との和解を夢に見る。かれこれ八年ちかく、私は故郷へ帰らない。かえることをゆるされないのである。政治運動を行ったからであり、情死を行ったからであり、卑しい女を妻に迎えたからである。私は、仲間を裏切りそのうえ生きて居れるほど・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・こんどはじめて亭主の肉親たちに逢うのですから、女は着物だのなんだの、めんどうな事もあるでしょうし、ちょっと大儀がるかも知れません。そこは北さんから一つ、女房に説いてやって下さい。私から言ったんじゃ、あいつは愚図々々いうにきまっていますから。・・・ 太宰治 「故郷」
・・・○誰か見ている。○みんないいひとだと私は思う。○煙草をたべたら、死ぬかしら。○机に向って端座し、十円紙幣をつくづく見つめた。不思議のものであった。○肉親地獄。○安い酒ほど、ききめがいい。○鏡を覗いてみて、噴きだし・・・ 太宰治 「古典風」
・・・「私は、十年も故郷へ帰らず、また、いまは肉親たちと音信さえ不通の有様なので、金木町のW様を、思い出すことが、できず、残念に存じて居ります。どなたさまで、ございましたでしょうか。おついでの折は、汚い家ですが、お立ち寄り下さい。」というようなこ・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・私の肉親関係のうちにも、ひとり、行い正しく、固い信念を持って、理想を追及してそれこそ本当の意味で生きているひとがあるのだけれど、親類のひとみんな、そのひとを悪く言っている。馬鹿あつかいしている。私なんか、そんな馬鹿あつかいされて敗北するのが・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・しかしこの二つの世界を離れた第三者の立場から見れば、この二つの階級は存外に近い肉親の間がらであるように思われて来るのである。 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・それでもまだしばらくの間は生き残った肉親の人々の追憶の中にかすかな残像のようになって明滅するかもしれない。死んだ自分を人の心の追憶の中によみがえらせたいという欲望がなくなれば世界じゅうの芸術は半分以上なくなるかもしれない。自分にしても恥さら・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
出典:青空文庫