・・・のみならず彼等の後ろには鳥打帽子などをかぶった男も五六人胡弓を構えていた。芸者は時々坐ったなり、丁度胡弓の音に吊られるように甲高い唄をうたい出した。それは僕にも必ずしも全然面白味のないものではなかった。しかし僕は京調の党馬や西皮調の汾河湾よ・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・子供は、木の枝で造った、胡弓を手に持っていました。 二人は、そこにあった小舎の中に、身を隠しました。「父ちゃん、さびしいの。」と、子供はいいました。「ああ、さびしい。」「父ちゃん、なにか、おもしろい話をして、聞かしておくれよ・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・爺は胡弓を持って、とぼとぼと子供の後から従いました。 その町の人々は、この見慣れない乞食の後ろ姿を見送りながら、どこからあんなものがやってきたのだろう。これから風の吹くときには気をつけねばならぬ。火でもつけられたりしてはたいへんだ。早く・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・振るっているのはホッテントットの用いる三弦の弦楽器にガボウイというのがあり、ザンジバルの胡弓にガブスというのがある。また一方では南洋セレベスにある金属弦ただ一本のカボシがある。それからまたアラビアの四弦の胡弓にシェルシェンクというのがあるの・・・ 寺田寅彦 「日本楽器の名称」
・・・近頃十九世紀の最も正直なる告白の詩人だといわれたポオル・ヴェルレエヌの詳伝を読み、Les sanglots longsDes violons De l'automne……「秋の胡弓の長き咽び泣き」という彼の有名な L・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・どこかで遠く、胡弓をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であった。今、ちょっとしたはずみ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・リアリズムの彷徨の一歩と現代文学に於ける自我の喪失とは、胡弓とその弓とのような関係で極めて時代的な音調を立て始めたのである。 さて、文芸復興の声は盛んであるが、果して文芸は当時復興したであろうか。声が響いているばかりで、現実には新たな文・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 雨なんか降ると主婦と娘の、琴と胡弓の合奏をきかしてもらいましたっけ。 でもまあ一人で行くのに温泉は適しませんねえ。」 こんな事を云いながら急に落つかない気持になって居た。 二人はこの頃の海は見つめてると目を悪くするから気を・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・ 黒人の太い、しかしどこかに胡弓を弾くような響のある淋しい声。 ○浅青い色の大空と煉瓦色の土と、緑と木との対照。 ○濁った河の水は、日光の下で、紫色に光る。 ○とんび、低くゆっくりと飛ぶ。 ○柳も、重い、鈍い緑、・・・ 宮本百合子 「無題(二)」
出典:青空文庫