・・・ 笛は、胡桃を割る駒鳥の声のごとく、山野に響く。 汽車は猶予わず出た。 一人発奮をくって、のめりかかったので、雪頽を打ったが、それも、赤ら顔の手も交って、三四人大革鞄に取かかった。「これは貴方のですか。」 で、その答も待・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ と、妙な返事をする。「南無、南無、何かね、お前様、このお墓に所縁の方でがんすかなす。」 胡桃の根附を、紺小倉のくたびれた帯へ挟んで、踞んで掌を合せたので、旅客も引入れられたように、夏帽を取って立直った。「所縁にも、無縁にも・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・瓢箪に宿る山雀、胡桃にふける友鳥……「いまはじめて相分った。――些少じゃが餌の料を取らせよう。」 小春の麗な話がある。 御前のお目にとまった、謡のままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋で、樋竹の相借家だ。・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・と、いや、それどころか、瓜の奈良漬。「山家ですわね。」と胡桃の砂糖煮。台十能に火を持って来たのを、ここの火鉢と、もう一つ。……段の上り口の傍に、水屋のような三畳があって、瓶掛、茶道具の類が置いてある。そこの火鉢とへ、取分けた。それから隣座敷・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・うぐいと蓴菜の酢味噌。胡桃と、飴煮の鮴の鉢、鮴とせん牛蒡の椀なんど、膳を前にした光景が目前にある。……「これだけは、密と取りのけて、お客様には、お目に掛けませんのに、どうして交っていたのでございましょうね。」――「いや、どうもそ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 背負い枠の娘はもうその路をあるききって、葉の落ち尽した胡桃の枝のなかを歩いていた。「ご覧なさい。人がいなくなるとあの路はどれくらいの大きさに見えて人が通っていたかもわからなくなるでしょう。あんなふうにしてあの路は人を待ってるんだ」・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・小川の岸には胡桃の木の生えて居る場所がありました。兄弟は鰍の居そうな石の間を見立てまして、胡桃の木のかげに腰を掛けて釣りました。 半日ばかり、この二人の子供が小川の岸で遊んで家の方へ帰って行きますと、丁度お爺さんも木を一ぱい背負って山の・・・ 島崎藤村 「二人の兄弟」
・・・この肌の白さは、どうじゃ。胡桃の実で肥やしたんじゃな!」と喉を鳴らして言いました。婆さんは長い剛い髭を生やしていて、眉毛は目の上までかぶさっているのです。「まるで、ふとらした小羊そっくりじゃ。さて、味はどんなもんじゃろ。冬籠りには、こいつの・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・維摩が方丈の室に法を聴ける大衆は千か万かその数を忘れた。胡桃の裏に潜んで、われを尽大千世界の王とも思わんとはハムレットの述懐と記憶する。粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばら・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・婆さんの話しによると昔は桜もあった、葡萄もあった。胡桃もあったそうだ。カーライルの細君はある年二十五銭ばかりの胡桃を得たそうだ。婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫