・・・扇谷家第一の猛者小幡東良が能登守教経然たる働きをするほかは、里見勢も上杉勢も根ッから動いていない。定正がアッチへ逃げたりコッチへ逃げたりするのも曹操が周瑜に追われては孔明の智なきを笑うたびに伏兵が起る如き巧妙な作才が無い。軍記物語の作者とし・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・永禄年中三好家の堺を領せる時は、三十六人衆と称し、能登屋臙脂屋が其首であった。信長に至っては自家集権を欲するに際して、納屋衆の崛強を悪み、之を殺して梟首し、以て人民を恐怖せしめざるを得無かったほどであった。いや、其様な後の事を説いて納屋衆の・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・冷酷な表情になって、 能登の七尾の冬は住憂き と附けた。まったく去来を相手にせず、ぴしゃりと心の扉を閉ざしてしまった。多少怒っている。カチンと堅い句だ。石ころみたいな句である。旋律なく修辞のみ。 魚の骨しはぶるまでの老・・・ 太宰治 「天狗」
・・・すなわち顎であろう。能登がアイヌの「ノト」頤である事は多くの人が信じている。坪井博士の説ではトサはやはりチャム系の言葉で雨嵐の国だそうである。これだとあまり有難くない国である。高知 これは従来の説では、河内すなわちデルタだそ・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・ 宗達は能登の人、こまかい伝記はつまびらかでないが寛永年間に加賀侯に仕え、光琳によって大成された装飾的な画風を創めた画家である。と辞典に短かく書かれてある。 なるほど、小さい絵はがきに見るこの源氏物語図屏風にしろ、魅力をもって先ず私・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・宮崎は越中、能登、越前、若狭の津々浦々を売り歩いたのである。 しかし二人がおさないのに、体もか弱く見えるので、なかなか買おうと言うものがない。たまに買い手があっても、値段の相談が調わない。宮崎は次第に機嫌を損じて、「いつまでも泣くか」と・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫