・・・それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って脚下の安全なものを棄てようとする、それと同じ心理が、正しく地震や津浪の災害を招致する、というよりはむしろ、地震や津浪から災害を製造する原動力になるのである。 津浪の恐れのあるのは三陸沿岸・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・山北も近づけば道は次第上りとなりて渓流脚下に遠く音あり。一八の屋根に鶏鳴きて雨を帯びたる風山田に青く、車中には御殿場より乗りし爺が提げたる鈴虫なくなど、海抜幾百尺の静かさ淋しささま/″\に嬉しく、哀れを止むる馬士歌の箱根八里も山を貫き渓をか・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ このようにわれらの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもってわれわれを保育する「母なる土地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭をふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き緊める「厳父」としての役割をも勤めるの・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・不思議なことには、ほとんど風というほどの風もない、というのは落ちる葉の流れがほとんど垂直に近く落下して樹枝の間をくぐりくぐり脚下に落ちかかっていることで明白であった。なんだか少し物すごいような気持ちがした。何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さ・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
・・・視感的空間では仰向きの茶わんとうつ向きの茶わん、一里を隔てた山と脚下の山とはあまりに相違したものである。紙面に描いた四角でもその傾き方で全く別な感覚を起こしてもよいはずである。しかるにこのような相違を怪しまず当然としているのは、吾人が主観を・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
出典:青空文庫