・・・文化、文学を発展させる自主的な精神力の喪失、経済事情の今日の小市民層らしい逼迫などが、微妙にからみあっているのである。小説を書く人より、小説に書かれる人の心の動きとも見えるではないか。 漱石やその後のある時期まで、作家の社会性の弱さは、・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・い娘たち、妻たち、そして若い母たちはこれからますます群れを組み、街上を行進する機会を多くもつのだろうが、そういう行進が自分たち女の生活とどんな密接な意義をもっているかということについて考えてみるだけの自主の力は大切であると思う。真に自分たち・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・現実がその妄想を打破った幻滅の心を、自力で整理するだけの自主的な「考える力」を必死に否定してあらゆる矛盾した外部の状況に受身に、無判断に盲従することを「民心一致」と強調した責任は、どこにあっただろうか。馬一匹よりもやすいものと命ぐるみ片ぱし・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・その小説の主人公の若く美しい妻は、自主的に解放されているというよりも、夫となっている主人公に、はじめ、冷たく蹂躪させた露通な性を、物にかえている。夫の苦痛はそこからはじまっている。未開なバリ島の性の祭典には、けがされない性の陶酔があり、主人・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ 社会政治の全面に、わたしたちの健全な判断力が反映してゆくにつれて、文化に対しても私たちは、自主の権威にみちた選択の自由をもち、創造の自由を得るのである。 本当の民主の生活とそのこころが身につけば、地方が所謂地方主義に陥ることもなく・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・真に自主日本の物語をもつに到るであろう。『くにのあゆみ』が日本の歴史学的な根拠もとぼしい皇紀をやめて、西暦に統一して書かれたことは、この将来の展望の上からも妥当である。〔一九四六年十月〕・・・ 宮本百合子 「『くにのあゆみ』について」
・・・文学においては、ドイツのハイネ、ロシアのツルゲーネフなどが新時代の黎明を語った時代で、一般の人々の自主独立的な生活への要望はきわめて高まっていた。ウィルヘルム二世は一八四七年、国内に信仰の自由を許す法律を公布した。ところが、僅か二年ばかりで・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・精神的にも、女の自主的な部分が拡大されることは、私たちの生活の毎秒ごとに起っている悲劇のいくつかを防ぐであろう。悲劇を惨劇に終らせぬ力を増すだろう。そのためにもと、あなたは、女に職業としてではなくても仕事があった方がよいとお考えになる。・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・けれども、それならば、シェクスピアの世界で解放された二組の恋人たちは、ほんとうに自分たちの愛において自由であり自主であっただろうか。シェクスピアは、森のいたずらなこだまパックを登場させた。パックが二人のアテナ人の瞼にしぼりかけた魔法の草汁の・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 漱石は、今日の歴史から顧みれば、多くの限界の見える作家であるが、知識人の独立性、自主性を主張することにおいては、なかなか強情であった。官僚にこびたりすることは、文学者のするべきことでないという態度をもっていた。東京帝大教授として、文部・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
出典:青空文庫