・・・ 戸石君は、果して心の底から自惚れているのかどうか、それはわからない。少しも自惚れてはいないのだけれども、一座を華やかにする為に、犠牲心を発揮して、道化役を演じてくれたのかも知れない。東北人のユウモアは、とかく、トンチンカンである。・・・ 太宰治 「散華」
・・・その次には、自分の浮気や得意はこの場限りで、もう少しすると平生の我に帰るのだが、ほかの人のは、これが常態であって、家へ帰っても、職務に従事しても、あれでやっているんだと己惚れます。すると自分はどうしてもここにいるべきではないとなる。宅へ帰っ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚れてみても上滑りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなけ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・自分だけが国家有用の材だなどと己惚れて急がしげに生存上十人前くらいの権利があるかのごとくふるまってもとうてい駄目なのです。彼らの有用とか無用とかいう意味は極めて幼稚な意味で云うのですから駄目であります。怒るなら、怒ってもよろしい、いくら怒っ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・烟突が西洋の烟突の如く盛んな烟りを吐き、われらの汽車が西洋の汽車の如く広い鉄軌を走り、われらの資本が公債となって西洋に流用せられ、われらの研究と発明と精神事業が畏敬を以て西洋に迎えらるるや否やは、どう己惚れても大いなる疑問である。マードック・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・ 流石は外国人だ、見るのも気持のいいようなスッキリした服を着て、沢山歩いたり、どうしても、どんなに私が自惚れて見ても、勇気を振い起して見ても、寄りつける訳のものじゃない処の日本の娘さんたちの、見事な――一口に云えば、ショウウインドウの内・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・儚い自分、はかない制限された頭脳で、よくも己惚れて、あんな断言が出来たものだ、と斯う思うと、賤しいとも浅猿しいとも云いようなく腹が立つ。で、ある時小川町を散歩したと思い給え。すると一軒の絵双紙屋の店前で、ひょッと眼に付いたのは、今の雑誌のビ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・一口にいうとやや悟って居る方だと自惚れて居た。ところが病気がだんだん劇しくなる。ただ身体が衰弱するというだけではないので、だんだんに痛みがつのって来る。背中から左の横腹や腰にかけて、あそこやここで更る更る痛んで来る事は地獄で鬼の責めを受ける・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ 一方には―― 他方じゃp.279 リュシアンは己惚れ男と思われている。しかしむしろはなはだひかえ目な男 ナンシーにおける振舞いは己惚れ 手紙を見れば少年○スタンダールはルシアン・ソレルの場合貴族への憎悪をつよ・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
・・・ 思いきり自惚れて居て、ひょっとあてのはずれた時の人ほどみじめなものはないと思う。自慢なんかする人は天からのんきでなくっちゃあ出来まいと思われる。なぜってば自慢って云うものは「御自分さまって云う御方は御えらい御方だ、御姿はよし御声な・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫