・・・何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをなさるのですからね」 亜米利加人が帰ってしまうと、婆さんは次の間の戸口へ行って、「恵蓮。恵蓮」と呼び立てました。 その声に応じて出て来たのは、美しい支那人の女の子です。が、何か苦労でもある・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・だから本当をいうと、彼は誰に不愉快を感じるよりも、彼自身にそれを感じねばならなかったのだ。そしてそれがますます彼を引込み思案の、何事にも興味を感ぜぬらしく見える男にしてしまったのだ。 今夜は何事も言わないほうがいい、そうしまいに彼は思い・・・ 有島武郎 「親子」
・・・おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が何よりも可愛いから歌を作る。しかしその歌も滅亡する。理窟からでなく内部から滅亡する。しかしそれはまだまだ早く滅亡すれば可いと思うがまだまだだ。日本はまだ三分の一だ。B いのちを愛するってのは可・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 十間、十五間、一町、半、二町、三町、彼方に隔るのが、どうして目に映るのかと、怪む、とあらず、歩を移すのは渠自身、すなわち立花であった。 茫然。 世に茫然という色があるなら、四辺の光景は正しくそれ。月もなく、日もなく、樹もなく、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 君が歌を作り文を作るのは、君自身でもいうとおり、作らねばならない必要があって作るのではなく、いわば一種のもの好き一時の慰みであるのだ。君はもとより君の境遇からそれで結構である。いやしくも文芸にたずさわる以上、だれでもぜひ一所懸命になっ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・「如何に君自身は弱くっても、君の腕はその大石軍曹と同じく、行くえが知れない程勇気があったんだ」と、僕は猪口を差した。 友人は右の手に受けて、言葉を継ぎ、「あの時の心持ちと云うたら、まだ気が落ち付いとらなんだんやさかい、今にも敵が追い・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・かつ椿岳は維新の時、事実上淡島屋から別戸して小林城三と名乗っていたから、本当は淡島椿岳でなくて小林椿岳であるはずだが、世間は前身の淡島屋を能く知ってるので淡島椿岳と呼び、椿岳自身もまた淡島と名乗っていた。が、実は小林であったか、淡島であった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私自身の経験によっても私は文天祥がドウ書いたか、白楽天がドウ書いたかと思っていろいろ調べてしかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名の間違いがあろうが、文法に合うまいが、かまわないで書いた文の方が私が見ても一番良い文章であって、・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・よしやあなたが主、御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとは仰しゃる事が出来ますまい。先へその鳥の命をお断ちになってからでも、そう仰しゃる事は出来ますまい。わたくしを生きながら元の道へお・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・しかし、子供の教育は必ずしも母親自身の学問の程度に関るものではない。それに学問がないから虐めることが出来ないなどというのは、如何にも可怪しな言葉である。私は何も博士の家庭に立入って批評しようとするものではないけれども、若しこれが本当の母であ・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫