・・・月はさやかに照りて海も陸もおぼろにかすみ、ここかしこの舷燈は星にも似たり。 げに見るに忍びざりき、されど彼女自ら招く報酬なるをいかにせん、わがこの言葉は二郎のよろこぶところにあらず。 二郎、君は報酬と言うや、何の報酬ぞ。 われ、・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・手には小さき舷燈提げたり。舷燈の光射す口をかなたこなたと転らすごとに、薄く積みし雪の上を末広がりし火影走りて雪は美しく閃めき、辻を囲める家々の暗き軒下を丸き火影飛びぬ。この時本町の方より突如と現われしは巡査なり。ずかずかと歩み寄りて何者ぞと・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 入り江の奥より望めば舷燈高くかかりて星かとばかり、燈影低く映りて金蛇のごとく。寂漠たる山色月影のうちに浮かんで、あだかも絵のように見えるのである。 舟の進むにつれてこの小さな港の声が次第に聞こえだした。僕は今この港の光景を詳しく説・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・灘村に舟を渡さんと舷に腰かけて潮の来るを待つらん若者あり。背低き櫨堤の上に樹ちて浜風に吹かれ、紅の葉ごとに光を放つ。野末はるかに百舌鳥のあわただしく鳴くが聞こゆ。純白の裏羽を日にかがやかし鋭く羽風を切って飛ぶは魚鷹なり。その昔に小さき島なり・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 花は起きたり臥したりしてさざなみのように舷に音をたてました。しばらくすると二人はまた白い霧に包まれました上にほんとうの波の声さえ聞こえてきました。しかし霧の上では雲雀が高くさえずっていました。「どうして雲雀は海の上なんぞで鳴くんで・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・孕の鼻の陰に泊っている帆前船の舷燈の青い光が、大きくうねっている。岬の上には警報台の赤燈が鈍く灯って波に映る。何処かでホーイと人を呼ぶ声が風のしきりに闇に響く。 嵐だと考えながら二階を下りて室に帰った。机の前に寝転んで、戸袋をはたく芭蕉・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・右舷に遠くねずみ色に低い陸地が見える。 日本から根気よく船について来た鴎の数がだんだんに減ってけさはわずかに二三羽ぐらいになっていたが、いつのまにかまた数がふえている。これはたぶんシナの鴎だろう。四月二日 呉淞で碇泊している。両・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・端艇涯をはなるれば水棹のしずく屋根板にはら/\と音する。舷のすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名残棒堤にしるく砂利に埋るゝ蘆もあわれなり。左側の水楼に坐して此方を見る老人のあればきっと中風よとはよき見立てと竹村はやせば皆々笑・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 今はこれまでというので、王と将軍のコールビオルンは舷から海におどり入る。エリックの兵は急いで捕えようとしたが、王は用心深く盾を頭にかざして落ち入ったので捕える事ができなかった。盾を背にしていた将軍は盾の上に落ちかかり、沈む事ができなか・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・鯉口半纏に向鉢巻の女房が舷から子供のおかわを洗っている。橋の向角には「かしぶね」とした真白な新しい行燈と葭簀を片寄せた店先の障子が見え、石垣の下には舟板を一枚残らず綺麗に組み並べた釣舟が四、五艘浮いている。人通りは殆どない、もう四時過ぎたか・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫