・・・我我は良心を得る為にも若干の訓練を要するのである。 * 一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。 * 我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良心を捉え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・その頃は、まったくです、無い事は無いにしろ、幾許するか知らなかった。 皆、親のお庇だね。 その阿母が、そうやって、お米は? ッて尋ねると、晩まであるよ、とお言いなさる。 翌日のが無いと言われるより、どんなに辛かったか知れません。・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・しかもその日、晩飯を食わせられる時、道具屋が、めじの刺身を一臠箸で挟んで、鼻のさきへぶらさげて、東京じゃ、これが一皿、じゃあない、一臠、若干金につく。……お前たちの二日分の祭礼の小遣いより高い、と云って聞かせました。――その時以来、腹のくち・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
一 柳を植えた……その柳の一処繁った中に、清水の湧く井戸がある。……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金の為替を請取って、三ツ巻に包んで、ト先ず懐中に及ぶ。 春は過ぎても、初夏の日の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・この快楽を目して遊戯的分子というならば、発明家の苦辛にも政治家の経営にもまた必ず若干の遊戯的分子を存するはずで、国事に奔走する憂国の志士の心事も――無論少数の除外はあるが――後世の伝記家が痛烈なる文字を陳ねて形容する如き朝から晩まで真剣勝負・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・靴も穿かず、髪をオドロと振乱した半狂乱の体でバタバタと駈けて来て、折から日比谷の原の端れに客待ちしていた俥を呼留め、飛乗りざまに幌を深く卸させて神田へと急がし、只ある伯爵家の裏門の前で俥を停めさせて、若干の代を取らすや否や周章てて潜門の奥深・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・たゞ、この過渡期にあっては、知識階級中の若干分子が、その代弁者たることの止むを得ざることです。 それにつけて、都会の生活は、新聞に、雑誌に、実際をきくこと屡々なるけれど、今日の田舎の生活は、真実にして、尚お、階級意識の支持者たる、真のプ・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・ 七 私の経験と、若干の現実的示唆 以上は青年学生としての恋愛一般の掟の如きものである。しかし現実の恋愛は実に多様な場合があり、陥りやすき人間の弱点があり、社会的不備から生ずる同情すべき散文的側面があり、必ずしも一概・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・後世少年吾等を羨むこと幾許ぞと。余、甚だ然りと答へ、ともに奮励して大いに為すあらんことを誓ひき」と。明かに×××的意義を帯びていた日清戦争に際して、ちょうど、国民解放戦争にでも際会したるが如き歓喜をもらしている。また、威海衛の大攻撃と支那北・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 以上のほか、硯友社派、及び自然主義派の作家で、全然戦争のことには手を触れなかった若干がある。だが、それは題材の関係であって、若し、それらの作家も戦争を書けば、恐らくその大部分が、当時支配的だった軍事的イデオロギーを反映したゞろうと思わ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
出典:青空文庫