・・・――わずかの縁に縋ってころげ込んだ苦学の小僧、には、よくは、様子は分らなかったんですが、――ちゃら金の方へ、鴨がかかった。――そこで、心得のある、ここの主人をはじめ、いつもころがり込んでいる、なかまが二人、一人は検定試験を十年来落第の中老の・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・るものだが、世事に馴れない青年や先輩の恩顧に渇する不遇者は感激して忽ち腹心の門下や昵近の知友となったツモリに独りで定めてしまって同情や好意や推輓や斡旋を求めに行くと案外素気なく待遇われ、合力無心を乞う苦学生の如くに撃退されるので、昨の感激が・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあっ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・それは東京へ出て苦学していたその家の二男が最近骨になって帰って来たからである。その青年は新聞配達夫をしていた。風邪で死んだというが肺結核だったらしい。こんな奇麗な前庭を持っている、そのうえ堂々とした筧の水溜りさえある立派な家の伜が、何故また・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・多年の苦学と、前途の希望が中断されるというのがその理由である。そこにも、支配階級の立場と、当時の進取的な、いわゆる立身成功を企図したブルジョアイデオロギーの反映がある。「愛弟通信」を読み終って、これが、新聞への通信ということに制約された・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ と学士に言われて、子安は随分苦学もして来たらしい締った毛脛を撫でた。「どうです、我輩の指は」 とその時、学士は左の手をひろげて、半分しかない薬指を出して見せた。「ホウ」と子安は眼を円くした。「一寸気が着かないでしょう。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・佐伯は、れいの服装に、私の着物在中の風呂敷包みを持ち、私は小さすぎる制服制帽に下駄ばきという苦学生の恰好で、陽春の午後の暖い日ざしを浴び、ぶらぶら歩いていたのである。「どこかで、お茶でも飲みましょう。」私は、熊本君に伺った。「そうで・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 私は、そうだと答えたかったのだけれど、そうすると、なんだかお金持の子供を鼻にかけるようで私のロマンチックな趣味に合わなかったから、いやちがう、僕はあの家の遠縁に当る苦学生であるが、そんなことは、どうでもいい、十年ぶりでやっと思いが叶っ・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・況んや、東京で三年、苦学して法律をおさめたそのような経歴を持ったとあれば、村の顔役の一人に、いやでも押されるのである。田舎者の出世の早道は、上京にある。しかも、その田舎者は、いい加減なところで必ず帰郷するのである。そこが秘訣だ。その家族と喧・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・杉浦透馬は、苦学生である。T大学の夜間部にかよっていた。マルキシストである。実際かどうか、それは、わからぬが、とにかく、当人は、だいぶ凄い事を言っていた。その杉浦透馬に、勝治は見込まれてしまったというわけである。 生来、理論の不得意な勝・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫