・・・然し病室はからっぽで、例の婆さんが、貰ったものやら、座蒲団やら、茶器やらを部屋の隅でごそごそと始末していた。急いで家に帰ってみると、お前たちはもう母上のまわりに集まって嬉しそうに騷いでいた。私はそれを見ると涙がこぼれた。 知らない間に私・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・、殊更に形式的なもので、要するに非常識的のものであるとなせる等である、固より茶の湯の真趣味を寸分だも知らざる社会の臆断である、そうかと思えば世界大博覧会などのある時には、日本の古代美術品と云えば真先に茶器が持出される、巴理博覧会シカゴ博覧会・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・紫檀の盆に九谷の茶器根来の菓子器、念入りの客なことは聞かなくとも解る。母も座におって茶を入れ直している。おとよは少し俯向きになって膝の上の手を見詰めている。平生顔の色など変える人ではないけれど、今日はさすがに包みかねて、顔に血の気が失せほと・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ひびへ漆を入れた茶器を現に二人が讃めたことがあったのです。 紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにお・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・多く夏の釣でありますから、泡盛だとか、柳蔭などというものが喜ばれたもので、置水屋ほど大きいものではありませんが上下箱というのに茶器酒器、食器も具えられ、ちょっとした下物、そんなものも仕込まれてあるような訳です。万事がそういう調子なのですから・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・羽柴筑前守なぞも戦をして手柄を立てる、その勲功の報酬の一部として茶器を頂戴している。つまり五万両なら五万両に相当する勲功を立てた時に、五万両の代りに茶器を戴いているのである。その骨董に当時五万両の価値があれば、そういう骨董を頂戴したのはつま・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・茶室、茶庭、茶器、掛物、懐石の料理献立、読むにしたがって私にも興が湧いて来た。茶会というものは、ただ神妙にお茶を一服御馳走になるだけのものかと思っていたら、そうではない。さまざまの結構な料理が出る。酒も出る。まさかこの聖戦下に、こんな贅沢は・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・しばらくして彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、コップに水を一ぱいくれと頼んだ。そうして自分の方を見ながら、どうも咽喉がかわいてと間接な弁解をした。「だいぶ飲んだんだね」「ええお祭りで、少し飲まされました」 赤い顔のことは簡単・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・暖かい日の午過食後の運動がてら水仙の水を易えてやろうと思って洗面所へ出て、水道の栓を捩っていると、その看護婦が受持の室の茶器を洗いに来て、例の通り挨拶をしながら、しばらく自分の手にした朱泥の鉢と、その中に盛り上げられたように膨れて見える珠根・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・小間の床に青楓の横物をちょっと懸ける、そういう趣味が茶器の好みにも現われているのであった。「――これ美味しいわね、どこの」「河村のんどっせ」 章子と東京の袋物の話など始めた女将の、大柄ななりに干からびたような反歯の顔を見ているう・・・ 宮本百合子 「高台寺」
出典:青空文庫