・・・建築ノ風一妓楼ノ如ク、楼ニ接シテ数箇ノ小茶店アリ。各酒肴ヲ弁ジ、且ツ絃妓ヲ蓄フ。亦花街ノ茶店ニ異ラズ。此楼モトヨリ浴ス可ク又酔フ可ク又能ク睡ル可シ。凡ソ人間ノ快楽ヤ浴酔睡ノ三字ニ如クハ無シ。一楼ニシテ三快ヲ鬻グ者ハ亦新繁昌中ノ一洗旧湯ナリ。・・・ 永井荷風 「上野」
・・・隣村の茶店まで来た時そこには大勢が立ち塞って居るのを見た。隣村もマチであった。唄う声と三味線とが家の内から聞えて来る。彼はすぐに瞽女が泊ったのだと知った。大勢の後から爪先を立てて覗いて見ると釣ランプの下で白粉をつけた瞽女が二人三味線の調子を・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・田舎へ行脚に出掛けた時なども、普通の旅籠の外に酒一本も飲まぬから金はいらぬはずであるが、時々路傍の茶店に休んで、梨や柿をくうのが僻であるから、存外に金を遣うような事になるのであった。病気になって全く床を離れぬようになってからは外に楽みがない・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 天神の裏門を境内に這入ってそこの茶店に休んだ。折あしく池の泥を浚えて居る処で、池は水の気もなく、掘りかけてある泥の深さが四、五尺もある。二、三十人の人夫は泥を掘る者もあるその掘った泥を運ぶ者もある。皆泥にまぶれて居る者ばかりだ。泥の臭・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・る春風馬堤曲十八首に曰くやぶ入や浪花を出て長柄川春風や堤長うして家遠し堤下摘芳草 荊与棘塞路荊棘何無情 裂裙且傷股渓流石点々 蹈石撮香芹多謝水上石 教儂不沾裙一軒の茶店の柳老にけり茶店の老婆子儂を見て・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ ○下手な絵を描いて居た女、二十七八、メリンスの帯、鼻ぬけのような声 ○可愛いセルの着物、エプロン、黄色いちりめんの兵児帯の五つばかりの娘、年とった父親がつれて来て、茶店にやすみ、ゆっくりしてゆく。かえりに、白鬚のところで見ると、こ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・私は坐ってジッとして居ると目の前に広重の絵のような駅の様子や馬方の大福をかじって戻る茶店なんかがひろがって行く。さしあたって行くところもないんだしするから、女の身でやたらに行きたがったってしようがないって云うことは知って居る。けれども、あの・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・外廻りには茶店が出来ている。汁粉屋がある。甘酒屋がある。赤い洞の両側には見せ物小屋やらおもちゃ店やらが出来ている。洞を潜って社に這入ると、神主がお初穂と云って金を受け取って、番号札をわたす。伺を立てる人をその番号順に呼び入れるのである。・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ただ一つ不思議に思はれしは、茶店に憩ひて一時間ばかりもゐたるに、富子さんは一度も笑はざりし事に候。丁度西洋人の一組同じ茶店にゐて、言語通ぜざるため、色々をかしき事などありて、谷田の奥さん例の達者なる英語にて通弁をして遣され、富子さんの母上も・・・ 森鴎外 「独身」
・・・あたりの茶店より茶菓子などもて来れど、飲食わむとする人なし。下りになりてより霧深く、背後より吹く風寒く、忽夏を忘れぬ。されど頭のやましきことは前に比べて一層を加えたり。軽井沢停車場の前にて馬車はつ。恰も鈴鐸鳴るおりなりしが、余りの苦しさに直・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫