・・・これを対岸から写すので、自分は堤を下りて川原の草原に出ると、今まで川柳の蔭で見えなかったが、一人の少年が草の中に坐って頻りに水車を写生しているのを見つけた。自分と少年とは四、五十間隔たっていたが自分は一見して志村であることを知った。彼は一心・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・夕暮れのにぎわいは格別で、壮年男女は一日の仕事のしまいに忙しく子供は薄暗い垣根の陰や竈の火の見える軒先に集まって笑ったり歌ったり泣いたりしている、これはどこの田舎も同じことであるが、僕は荒涼たる阿蘇の草原から駆け下りて突然、この人寰に投じた・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 二 山が、低くなだらかに傾斜して、二つの丘に分れ、やがて、草原に連って、広く、遠くへ展開している。 兵営は、その二つの丘の峡間にあった。 丘のそこかしこ、それから、丘のふもとの草原が延びて行こうとしているあたり・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 白樺や、榛や、団栗などは、十月の初めがた既に黄や紅や茶褐に葉色を変じかけていた。露の玉は、そういう葉や、霜枯れ前の皺びた雑草を雨後のようにぬらしていた。 草原や、斜丘にころびながら進んで行く兵士達の軍服は、外皮を通して、その露に、・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 雪は深く、線路も、草原も、道もすべてが掃きならされたようだった。そこらの林や、立木が遠い山を中心に車窓の前をキリ/\廻転して行った。いつか、列車は速力をゆるめた。と、雪をかむった鉄橋が目前に現れてきた。「異状無ァし!」 鉄橋の・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・またその堤防の草原に腰を下して眸を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処の水際に蹲って釣ったり、其処の堤上に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記し・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ふたり坐れるほどの草原を、やっと捜し当てた。そこには、すこし日が当って、泉もあった。「ここにしよう。」疲れていた。 かず枝はハンケチを敷いて坐って嘉七に笑われた。かず枝は、ほとんど無言であった。風呂敷包から薬品をつぎつぎ取り出し、封・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 周囲の草原はひっそりと眠っている。停車場から鐸の音が、ぴんぱんぴんぱんと云うように聞える。丁度時計のセコンドのようである。セコンドや時間がどうなろうと、そんな事は、もうこの二人には用が無いのである。女学生の立っている右手の方に浅い水溜・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・北側の入口には赤と黒との縞のよごれたモスリンのカアテンがかけられ、そのうえの壁に、沼のほとりの草原に裸で寝ころんで大笑いをしている西洋の女の写真がピンでとめつけられていた。南側の壁には、紙の風船玉がひとつ、くっついていた。それがすぐ私の頭の・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ 大正年間の大噴火に押し出した泥流を被らなかったと思われる部分の山腹は一面にレモン黄色と温かい黒土色との複雑なニュアンスをもって彩られた草原に白く曝された枯木の幹が疎らに点在している。そうして所々に露出した山骨は青みがかった真珠のような・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫