・・・鞭を持っていたのは、慣れない為事で草臥れた跡で、一鞍乗って、それから身分相応の気晴らしをしようと思ったからである。 その晩のうちにチルナウエルは汽船に乗り込んで、南へ向けて立った。最初に着く土地はトリエストである。それから先きへ先きへと・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 大正池の畔に出て草臥れを休めていると池の中から絶えずガラガラガラ何かの機械の歯車の轢音らしいものが聞こえて来る。見ると池の真中に土手のようなものが突出していて、その端の小屋のようなものの中で何かしら機械が運転しているらしい。宿へ帰って・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ 煙草の一番うまいのはやはり仕事に手をとられてみっしり働いて草臥れたあとの一服であろう。また仕事の合間の暇を盗んでの一服もそうである。学生時代に夜更けて天文の観測をやらされた時など、暦表を繰って手頃な星を選み出し、望遠鏡の度盛を合わせて・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ 箱根ホテルでは勘定をもって来てくれと四、五度も頼んで待ち草臥れた頃にやっと持って来たのであったが、熱海ホテルの方ではまだお茶を飲んでいる最中に甲斐甲斐しい女給仕が横書きの勘定書をもって来て、「サービス三十銭頂戴します」と云った。箱根の・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・顎が草臥れて畢うのである。唯欲し相にして然かも鼻をひくひくと動かす犬を見て太十は独で笑うのである。赤は恐ろしい人なつこい犬である。後足で立って前足を胸に屈めていつまででも立つことが出来た。そうして何か欲しいといっては長い舌を出してぺろりぺろ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・悲でなくって、謂わば未来の人生の影を取り越して写したものか、さもなくば本当に味のある万有のうつろな図のようなものであって、己はつまり影と相撲を取っていたので、己の慾という慾は何の味をも知らずに夢の中に草臥れてしまったのだ。振返って己の生涯を・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・風呂に入って汗を流し座敷に帰って足を延べた時は生き返ったようであるが、同時に草臥れが出てしもうて最早筆を採る勇気はない。其処でその夜は寐てしもうて翌朝になって文章を書いて新聞社に送って置く。そうして宿屋を出る時は最早九時にも十時にもなって居・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・ 沢や婆は、さも草臥れたように其に答えず、「やっとせ」と上り框に腰を下した。そして、がさがさの手の平で顔じゅう撫でた。植村婆さんは、一寸皮肉に笑いながら云った。「婆やつき合がひろいから、暇乞いだけでも容易であんめ?」「早・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・実にまめに、何でもかきつけましたが、書いてしまうと安心するのか、それを見ないと、それっきりつい忘れてしまうことなどあり、いつかなど、ああ草臥れた、きょうは早くかえれて儲けものだとよろこび、すっかり平常着にくつろいでしまいました。やがてふと用・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・ その中で、自分が草臥れきって眠っていた下関発の夜汽車は、丹那で大断層の起った少しあと三島駅を通過した。 伊豆地方の大震災 惨たる各地の被害 震源地は丹那盆地 死者二百三十二名 伊豆震災救済策 震災地方の納税減免・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
出典:青空文庫