・・・……艶なる女優の心を得た池の面は、萌黄の薄絹のごとく波を伸べつつ拭って、清めるばかりに見えたのに、取って黒髪に挿そうとすると、ちっと離したくらいでは、耳の辺へも寄せられぬ。鼻を衝いて、ツンと臭い。「あ、」と声を立てたほどである。 雫・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・二丈三丈、萌黄色に長く靡いて、房々と重って、その茂ったのが底まで澄んで、透通って、軟な細い葉に、ぱらぱらと露を丸く吸ったのが水の中に映るのですが――浮いて通るその緋色の山椿が……藻のそよぐのに引寄せられて、水の上を、少し斜に流れて来て、藻の・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・…… かかる折から、柳、桜、緋桃の小路を、麗かな日に徐と通る、と霞を彩る日光の裡に、何処ともなく雛の影、人形の影がさまよう、…… 朧夜には裳の紅、袖の萌黄が、色に出て遊ぶであろう。 ――もうお雛様がお急ぎ。 と細い段の緋・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ 親仁の面は朱を灌いで、その吻は蛸のごとく、魚の鰭は萌黄に光った。「力は入るね、尾を取って頭を下げ下げ、段々に糶るのは、底力は入るが、見ていて陰気だね。」 と黒い外套を着た男が、同伴の、意気で優容の円髷に、低声で云った。「そ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・……床に行李と二つばかり重ねた、あせた萌葱の風呂敷づつみの、真田紐で中結わえをしたのがあって、旅商人と見える中年の男が、ずッぷり床を背負って当たっていると、向い合いに、一人の、中年増の女中がちょいと浮腰で、膝をついて、手さきだけ炬燵に入れて・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・それこれじゃ、(萌黄――お銚子は提げて持って行くわさ。村越 小父さん!七左 慌てまい、はッはッはッ。奥方もさて狼狽えまい。騒ぐまい。膳は追て返す。狂人じみたと思わりょうが、決してそうでない。実は、婆々どのの言うことに――やや親仁どの・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・ やがて、心着くと標示は萌黄で、この電車は浅草行。 一帆がその住居へ志すには、上野へ乗って、須田町あたりで乗換えなければならなかったに、つい本町の角をあれなり曲って、浅草橋へ出ても、まだうかうか。 もっとも、わざととはなしに、一・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・りくのら猫の児へ割歩を打ち大方出来たらしい噂の土地に立ったを小春お夏が早々と聞き込み不断は若女形で行く不破名古屋も這般のことたる国家問題に属すと異議なく連合策が行われ党派の色分けを言えば小春は赤お夏は萌黄の天鵞絨を鼻緒にしたる下駄の音荒々し・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 柿色の顔と萌黄色の衣装の配合も特殊な感じを与える。頭に冠った鳥冠の額に、前立のように着けた鳥の頭部のようなものも不思議な感じを高めた。私はこの面の顔の表情に、どこか西洋画で見るパンの神のそれに共通なものがあるような気がしてならなかった・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・案内者が萌黄色の背広を着た英国人らしいのに説明していました。萌黄の背広に萌黄の柔らかい帽子を着たこういう男にたいていな所で出くわすのは不思議なくらいです。ノルウェーの船でもこんな男に会ったし、ヴェスーヴの火山でも会いました。いずれも巻き舌の・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
出典:青空文庫