・・・今日では何も昔のように社会の落伍者、敗北者、日蔭者と肩身を狭く謙り下らずとも、公々然として濶歩し得る。今日の文人は最早社会の寄生虫では無い、食客では無い、幇間では無い。文人は文人として堂々社会に対する事が出来る。 今日の若い新らしい作家・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・その年の寒さには、塾でも生徒の中に一人の落伍者を出した。 遽かに復活るように暖い雨の降る日、泉は亡くなった青年の死を弔おうとして、わざわざ小県の方から汽車でやって来た。その青年は、高瀬も四年手掛けた生徒だ。泉と連立って、高瀬はその生徒の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・けれども、この辺で懐中心細くなり、落伍する者もある。「ぼく、豚の煮込み、いらない。」と全く意気悄沈して、六号活字ほどの小さい声で言って、立ち上り、「いくら?」という。 他のお客は、このあわれなる敗北者の退陣を目送し、ばかな優越感でぞ・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・国民学校の先生になるという事はもう、世の中の廃残者、失敗者、落伍者、変人、無能力者、そんなものでしか無い証拠だという事になっているんだ。僕たちは、乞食だ。先生という綽名を附けられて、からかわれている乞食だ。おい、奥田先生だって、やっぱり同じ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・大正文学の遺老を捨てる山は何処にあるか……イヤこんな事を言っていると、わたくしは宛然両君がいうところの「生活の落伍者」また「敗残の東京人」である。さればいかなる場合にも、わたくしは、有島、芥川の二氏の如く決然自殺をするような熱情家ではあるま・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・当時の選科生というものは惨じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒えてからすぐ田舎の中学校に行った。それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・翅の薄い、体の軟い弱い蝶々は幾万とかたまって空を覆って飛び、疲れると波の上にみんなで浮いて休み、また飛び立って旅をつづけ、よく統制がとれて殆ど落伍するものなく移動を成就するのだそうである。歴史の一こまを前進させるという人類の最も高貴な事業が・・・ 宮本百合子 「結集」
・・・を荷風の芸術境地としてそれなりに認め、「人生の落伍者の生活にもそれ相応の生存の楽しみが微にでもあることを自ら示している」ところの、人間の希望を描いた作品であると評したのは、白鳥の日頃からの人生観のしからしめるところと理解される。だが、盛にシ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・「人生の落伍者の生活にも、それ相応の生存の楽しみが微かにでもあることを自ら示している」ところの人間の希望を描いた作品であるとしているのである。ここに到ると、白鳥は自然主義の作家としてまぎれもなく持っている自身の制約性を、さながら自分から私た・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・もしこの種の外形的な努力が反省なしに続けて行かれるならば、日本画は低級芸術として時代の進展から落伍する時機が来るであろう。 この危険を救うものは画家の内部の革新である。芸人をやめて芸術家となることである。 院展日本画の大体としての印・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫