・・・ 落葉を浮かべて、ゆるやかに流るるこの沼川を、漕ぎ上る舟、知らずいずれの時か心地よき追分の節おもしろくこの舟より響きわたりて霜夜の前ぶれをか為しつる。あらず、あらず、ただ見るいつもいつも、物いわぬ、笑わざる、歌わざる漢子の、農夫とも漁人・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・白い鋸屑が落葉の上に散って、樹は気持よく伐り倒されて行く。樹の倒れる音響に驚いて小鳥がけたたましく囀って飛びまわる。……山仕事の方がどれだけ面白いかしれない……「チェッ…………どうなりゃ!」 古江は、きらりとすごい眼つきをした。京一・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・ 戸外には、谷間の嵐が団栗の落葉を吹き散らしていた。戸や壁の隙間から冷い風が吹きこんできた。両人は十二時近くになって、やっと仕事をよした。 猫は、彼等が寝た後まで土間や、床の下やでうろ/\していた。追っても追っても外へ出て行かなかっ・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・暇さえあれば箒を手にして、自分の友だちのようにそれらの木を見に行ったり、落ち葉を掃いたりした。過ぐる七年の間のことは、そこの土にもここの石にもいろいろな痕跡を残していた。 いつのまにか末子は黒板の前を離れて、霜どけのしている庭へ降りて行・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・おげんはそんな落葉を掃き寄せる音の中にすら、女を欺しそうな化物を見つけて、延び上り延び上り眺め入って、自分で自分の眼を疑うこともあった。 ある夕方が来た。おげんはこの養生園へ来てから最早幾日を過したかということもよく覚えなかった。廊下づ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・雪は、ほとんどなかった。落葉が厚く積っていて、じめじめぬかった。かまわず、ずんずん進んだ。急な勾配は這ってのぼった。死ぬことにも努力が要る。ふたり坐れるほどの草原を、やっと捜し当てた。そこには、すこし日が当って、泉もあった。「ここにしよ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 盗賊は落葉の如くはらはらと退却し、地上に舞いあがり、長蛇のしっぽにからだをいれ、みるみるすがたをかき消した。 決闘 それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動・・・ 太宰治 「逆行」
・・・傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。 私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径を、あてもなく彷徨い歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。 二人は黙って歩いている。しかし、二人の胸・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・ 宿の裏門を出て土堤へ上り、右に折れると松原のはずれに一際大きい黒松が、潮風に吹き曲げられた梢を垂れて、土堤下の藁屋根に幾歳の落葉を積んでいる。その松の根に小屋のようなものが一つある。柱は竹を堀り立てたばかり、屋根は骨ばかりの障子に荒筵・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・しかし今見れば散りつもる落葉の朽ち腐された汚水の溜りに過ぎない。 碑の立てられた文化九年には南畝は既に六十四歳になっていた。江戸から遠くここに来って親しく井の水を掬んだか否か。文献の徴すべきものがあれば好事家の幸である。 わたくしは・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫