・・・しかし今見れば散りつもる落葉の朽ち腐された汚水の溜りに過ぎない。 碑の立てられた文化九年には南畝は既に六十四歳になっていた。江戸から遠くここに来って親しく井の水を掬んだか否か。文献の徴すべきものがあれば好事家の幸である。 わたくしは・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
一 小庭を走る落葉の響、障子をゆする風の音。 私は冬の書斎の午過ぎ。幾年か昔に恋人とわかれた秋の野の夕暮を思出すような薄暗い光の窓に、ひとり淋しく火鉢にもたれてツルゲネーフの伝記を読んでいた。 ツルゲネーフはまだ物心もつ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・竹はうるさげにさらさら身をゆする。落葉は止むなく竹の葉を滑ってこぼれて行く。澁い枳の実は霜の降る度に甘くなって、軈て四十雀のような果敢ない足に踏まれても落ちるようになる。幼いものは竹藪へつけこんでは落ち葉に交って居る不格好な実を拾っては噛む・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・秋の日影は次第に深く、旅館の侘しい中庭には、木々の落葉が散らばっていた。私はフランネルの着物を着て、ひとりで裏山などを散歩しながら、所在のない日々の日課をすごしていた。 私のいる温泉地から、少しばかり離れた所に、三つの小さな町があった、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・室の真中からたった一つの電燈が、落葉が蜘蛛の網にでもひっかかったようにボンヤリ下って、灯っていた。リノリュームが膏薬のように床板の上へ所々へ貼りついていた。テーブルも椅子もなかった。恐ろしく蒸し暑くて体中が悪い腫物ででもあるかのように、ジク・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・たまたま変例と見るべきものもなお行春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉松風の落葉か水の音涼し 同松杉をほめてや風の薫る音 同のごときものにして多くは「や」「か」等の切字を含み、しからざるも七音の句必ず四三または三四と切れ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 霧の立ちこめた中に只一人立って、足元にのびて居る自分の影を見つめ耳敏く木の葉に霧のふれる響と落葉する声を聞いて居ると自と心が澄んで或る無限のさかえに引き入れられる。 口に表わされない心の喜びを感じる。 彼の水の様な家々の屋根に・・・ 宮本百合子 「秋霧」
・・・街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、女は自分の帽子なしで往来を歩いていても不思議がらないような日々の感情になって来た。 女の無智や・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・判然聞取なかったんですが、ある時茜さす夕日の光線が樅の木を大きな篝火にして、それから枝を通して薄暗い松の大木にもたれていらっしゃる奥さまのまわりを眩く輝かさせた残りで、お着衣の辺を、狂い廻り、ついでに落葉を一と燃させて行頃何か徳蔵おじが仔細・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・あとに取り残された常緑樹の緑色は、落葉樹のそれよりは一層陰欝で、何だか緑色という感じをさえ与えないように思われる。ことに驚いたことには、葉の落ちたあとの落葉樹の樹ぶりが、実におもしろくなかった。幹の肌がなんとなく黒ずんでいてきたない。枝ぶり・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫