・・・千人風呂は葛西善蔵氏の作品でございました。 ――まったくもって。 わけのわからぬ問答に問答をかさねて、そのうちに、久保田氏は、精神とかジャンルとか現象とかのこむずかしい言葉を言い出し、若い作家の読書力減退についてのお説教がはじまり、・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・この世では、やはり、あなたのような生きかたが、正しいのでしょうか。葛西さんがいらした時には、お二人で、雨宮さんの悪口をおっしゃって、憤慨したり、嘲笑したりして居られますし、雨宮さんがおいでの時は、雨宮さんに、とても優しくしてあげて、やっぱり・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・口をついて出るというのである、――葛西善蔵は、そのころまだ生きていた。いまのように有名ではなかった。一週間すぎて、ふたたびブルウル氏の時間が来た。お互いにまだ友人になりきれずにいる新入生たちは、教室のおのおのの机に坐ってブルウル氏を待ちつつ・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・ 石坂氏ハダメナ作家デアル。葛西善蔵先生ハ、旦那芸ト言ウテ深ク苦慮シテ居マシタ。以来、十春秋、日夜転輾、鞭影キミヲ尅シ、九狂一拝ノ精進、師ノ御懸念一掃ノオ仕事シテ居ラレルナラバ、私、何ヲ言オウ、声高ク、「アリガトウ」ト明朗、粛然ノ謝辞ノ・・・ 太宰治 「創生記」
先日、竹村書房は、今官一君の第一創作集「海鴎の章」を出版した。装幀瀟洒な美本である。今君は、私と同様に、津軽の産である。二人逢うと、葛西善蔵氏の碑を、郷里に建てる事に就いて、内談する。もう十年経って、お互い善蔵氏の半分も偉・・・ 太宰治 「パウロの混乱」
・・・そうして帰途は必ず、何くそ、と反骨をさすり、葛西善蔵の事が、どういうわけだか、きっと思い出され、断乎としてこの着物を手放すまいと固執の念を深めるのである。 単衣から袷に移る期間はむずかしい。九月の末から十月のはじめにかけて、十日間ばかり・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ボオドレエルを見よ。葛西善蔵の生涯を想起したまえ。腹のできあがった君子は、講談本を読んでも、充分にたのしく救われている様子である。私にとって、縁なき衆生である。腹ができて立派なる人格を持ち、疑うところなき感想文を、たのしげに書き綴るようにな・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・ いま日本に於いて、多少ともウール・シュタンドに近き文士は、白樺派の公達、葛西善蔵、佐藤春夫。佐藤、葛西、両氏に於いては、自由などというよりは、稀代のすねものとでも言ったほうが、よりよく自由という意味を言い得て妙なふうである。ダス・ゲマ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・しかしその時には船堀や葛西村の長橋もまだ目にとまらなかった。 わたくしの頽廃した健康と、日々の雑務とは、その後十余年、重ねてこの水郷に遊ぶことを妨げていたが、昭和改元の後、五年の冬さえまた早く尽きようとするころであった。或日、深川の町は・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・それは年年秋月与二春花一 〔年年 秋の月と春の花と行楽何知鬢欲レ華 行楽して何ぞ知らん鬢華らんと欲するを隔レ水唯開川口店 水を隔てて唯だ開く川口の店背レ空鎖葛西家 を背にして空しく鎖す葛西の家紅裙翠黛人終・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫