・・・ 大町さんは、御良人の葬儀がおわるとほとんどすぐ上京して来た。そして、「ほんとうに、しばらく……」と力をこめていって、あとは何もいえず、しずかに涙をこぼした大町さんの姿を私が忘れることはあるまいと思う。 あわずにいた何年かのあいだに・・・ 宮本百合子 「大町米子さんのこと」
○長や 玉やの玉のブつかる音。小さい家から一日じゅうラジオか、やすチク音キがきこえる。窓からとび込んで来る猫。葬儀やの二階の講。台所にタライにビールをつけてある。ベコベコジャミセン○物干しに出て、どじょうすくいを踊るのを・・・ 宮本百合子 「工場労働者の生活について」
・・・同年十二月死去の公報によって葬儀を営んだ。十月十日に網走刑務所から解放されて十二年ぶりで東京にかえった顕治と百合子が式に列した。[自注12]国男夫婦――百合子の弟夫婦。[自注13]林町の母――百合子の実母。葭江。一八七六年―一九三四・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・各団体から委員が出て、作家同盟からは、小林の死、その葬儀をとおしてほんとうに同志らしく行動した江口渙をはじめわたしをもふくむ数人の委員があげられた。刊行基金として、予約募集の仕事がはじめられた。その頃の金で全額五十円ぐらいであったろうか。予・・・ 宮本百合子 「小林多喜二の今日における意義」
・・・ジイドは、赤い広場で行われたゴーリキイの感動的な葬儀に参加し、衷心からソヴェトの大衆に向って新世界に対する自己の傾倒を語り、それから約二ヵ月ソ連邦のあちらこちらを旅行した。「鋼鉄はいかに鍛えられたか」の著者、オストロフスキーをもわざわざ南露・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・一月三十日、父の急死によって葬儀のために仮出獄した。二月。二月二十六日事件を裁判所で知った。小使がつい、予審判事に戒厳令という言葉を言ったために。三月。下旬、予審終結。ひどく健康を害していたために市ヶ谷からじかに慶応大学病院に入・・・ 宮本百合子 「年譜」
二月二日に父の葬儀を終り、なか一日置いた四日の朝、私は再びそれまでいた場所へ戻った。初めてそこへ行った時と同じ手続で或る小部屋へ入り自分の着物は一切脱いで、肌へつける物から洗いさらした藍い物ずくめになり、沢山並んで夫々番号・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・三右衛門が重手を負いながら、癖者を中の口まで追って出たのは、「平生の心得方宜に附、格式相当の葬儀可取行」と云うのである。三右衛門の創を受けた現場にあった、癖者の刀は、役人の手で元の持主五瀬某に見せられた。 二十八日に三右衛門の遺骸は、山・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫