・・・―― 彼の行く手には、一座の高い山があった。それがまた自らな円みを暖く抱いて、眼のとどかない上の方から、眼の先の寝床の上まで、大きな鍾乳石のように垂れ下っている。その寝床についている部分は、中に火気を蔵しているかと思うほど、うす赤い柘榴・・・ 芥川竜之介 「女体」
・・・噛み合うように固く胸高に腕ぐみをして、上体をのめるほど前にかしげながら、泣かんばかりの気分になって、彼はあのみじめな子供からどんどん行く手も定めず遠ざかって行った。 有島武郎 「卑怯者」
・・・ある者は赤い方をまっしぐらに走っているし、ある者は青い方をおもむろに進んで行くし、またある者は二つの道に両股をかけて欲張った歩き方をしているし、さらにある者は一つの道の分かれ目に立って、凝然として行く手を見守っている。揺籃の前で道は二つに分・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・そして、行く手には、美しい星が光っていました。 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・明戸を出はずるる頃、小さき松山の行く手にありて、それにかかれる坂路の線の如くに翠の影の中に入れるさま、何の事はなけれど繕わぬ趣ありておもしろく見えければ、寒月子はこれを筆に写す。おとう坂というところとかや。菅沼というにかかる頃、暑さ堪えがた・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・鳥目を種なしにした残念さ うっかり買たくされ卵子にやす玉子きみもみだれてながるめり 知りなば惜しき銭をすてむや これより行く手に名高き浪打峠にかかる。末の松山を此地という説もあり。いずれに行くとも・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・子どもはこれまでそんな小さな花を見た事がなかったものですから、またにこにことほおえみましたので、それに力を得て、おかあさんは子どもを抱き上げて、さらに行く手を急ぎました。 そのうちに第一の門に来ました。二人はそこを通って跡にかきがねをか・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・彼の行く手には、死の壁以外に何も無いのが、ありありと見える心地がしたからだ。 こいつは、死ぬ気だ。しかし、おれには、どう仕様もない。先輩らしい忠告なんて、いやらしい偽善だ。ただ、見ているより外は無い。 死ぬ気でものを書きとばしている・・・ 太宰治 「織田君の死」
・・・そうする事によってこのドラマの行く手の運命の茫漠たる事を暗示している。そうして観客の眼前でこの行列とそれに従うヒロインとは熱砂の波のかなたにありありと完全に消えてしまうのである。 この映画に取り扱われた太鼓の主題はたしかにヒロインの愛の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・と馬はまもなく死ぬ、そのとき、もし「すぐと刀を抜いて馬の行く手を切り払う」と、その風がそれて行って馬を襲わないというのである。もう一つの説によると、「玉虫色の小さな馬に乗って、猩々緋のようなものの着物を着て、金の瓔珞をいただいた」女が空中か・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
出典:青空文庫