・・・ 丁度巌本善治の明治女学校が創立された時代で、教会の奥に隠れたキリスト教婦人が街頭に出でて活動し初めた。九十の老齢で今なお病を養いつつ女の頭領として仰がれる矢島楫子刀自を初め今は疾くに鬼籍に入った木村鐙子夫人や中島湘烟夫人は皆当時に崛起・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・とは、いうもの、この間、街頭の響きから、人間との接触から、そこに感じられた複雑な人生の幾多の変遷と推移が、文壇の上にも、もしくは、他の社会の上にもあったことを考え出さずにはいられません。私自身にとっても、憧憬、煩悶、反抗、懐疑、信仰、いろ/・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・その無邪気も、光明も希望も、快活も、やがて奪い去られてしまって、疲れた人として、街頭に突き出される日の、そう遠い未来でないことを感ずることから、涙ぐむのであった。 人間性を信じ、人間に対して絶望をしない私達もいかんともし難い桎梏の前に、・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
春先になれば、古い疵痕に痛みを覚える如く、軟かな風が面を吹いて廻ると、胸の底に遠い記憶が甦えるのであります。 まだ若かった私は、酒場の堅い腰掛の端にかけて、暖簾の隙間から、街頭に紅塵を上げて走る風に眼を遣りながら独り杯を含んでいま・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・私は原始キリスト教の精神というものが決して今日の職業化した街頭のキリスト教とは思っていない。本当に原始キリスト教の精神を尚お伝え得るものならば、今日のキリスト教は斯くまでに堕落はしていないだろう。三 早い話が原始キリスト教の精神・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
たま/\書斎から、歩を街頭に移すと、いまさら、都会の活動に驚かされるのであります。こちらの側から、あちらの側に行くことすら、容易ならざる冒険であって時には、自分に不可能であると感じさせる程、自動車や、自転車や電車がしっきりなしに相つい・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・が依然として、街頭のパンやライスカレーは姿を消さず、また、梅田新道の道の両側は殆んど軒並みに闇煙草屋である。 六月十九日の大阪のある新聞に次のような記事が出ていた。「大阪曾根崎署では十九日朝九時、約五十名の制服警官をくり出して梅・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・南海通にもあくどいペンキ塗りのバラックの飲食店や闇商人の軒店や街頭賭博屋の屋台が並んでいて、これが南海通かと思うと情けなく急ぎ足に千日前へ抜けようとすると、続けざまに二度名前を呼ばれた。声のする方をひょいと見ると、元「波屋」があった所のバラ・・・ 織田作之助 「神経」
・・・だから検挙して検事局へ廻しても、検事局じゃ賭博罪で起訴出来ないかも知れない、警察が街頭博奕を放任してるのもそのためだと、嘘か本当か知らんが穿ったことを言っていたよ。まアそんなものだから、よした方がいいと思うな」「いや、今度は大丈夫儲けて・・・ 織田作之助 「世相」
・・・思いきや彼はこの春、銀座街頭に見たるその盲人ならんとは。されど盲人なる彼れの盲目ならずとも自分を見知るべくもあらず、しばらく自分の方を向いていたが、やがてまた吹き初めた。指端を弄して低き音の縷のごときを引くことしばし、突然中止して船端より下・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫