・・・同時にまたほとんど体中にお時儀をしたい衝動を感じた。けれどもそれは懸け値なしに、一瞬の間の出来事だった。お嬢さんははっとした彼を後ろにしずしずともう通り過ぎた。日の光りを透かした雲のように、あるいは花をつけた猫柳のように。……… 二十分・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・すると敵も彼等と同じ衝動に支配されていたのであろう。一瞬の後には、やはり歯をむき出した、彼等の顔を鏡に映したような顔が、幾つも彼等の左右に出没し始めた。そうしてその顔と共に、何本かの軍刀が、忙しく彼等の周囲に、風を切る音を起し始めた。 ・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ 仁右衛門はまた笠井のてかてかした顔に唾をはきかけたい衝動にさいなまれたが、我慢してそれを板の間にはき捨てた。「そうまあ一概にはいうもんでないぞい」「一概にいったが何条悪いだ。去ね。去ねべし」「そういえど広岡さん……」「・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・クララは恐ろしい衝動を感じてそれを見ていた。と、やがてその男の手に残った着物が二つに分れて一つはクララの父となり、一つは母となった。そして二人の間に立つその男は、クララの許婚のオッタヴィアナ・フォルテブラッチョだった。三人はクララの立ってい・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・……今年はじめて花見に出たら、寺の和尚に抱きとめられて、高い縁から突落されて、笄落し、小枕落し…… 古寺の光景は、異様な衝動で渠を打った。 普通、草双紙なり、読本なり、現代一種の伝奇においても、かかる場合には、たまた・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・しかし空想は、想像となり、想像は、思想にまで進展し、やがて、それは内部的な一切の衝動のあらわれとなって、外面に向って迫撃する。これは、外的条件が、内的の力を決定するのでない。 こゝに、自由の生む、形態の面白さがあり、押えることのできない・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・そんなことを思いながら彼はすぐにも頬ぺたを楓の肌につけて冷やしてみたいような衝動を感じた。「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱を持っているのを知った。「私はおまえにこんなものをやろうと思う。一つはゼリーだ。ちょっと・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・人はいやしくも他人の願望を知れば、その実現を妨ぐる事情なき限り、自分の願望と等しく、この他人の願望によって規定されずにいられない自然の衝動を持っている。他人との同情はわれわれを利他的行為に駆るのである。利他は利己の打算的手段として起こったも・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・この湧き上ってくる衝動と、興奮と、美しく誘うが如きものは何であろう。人生には今や霞がかかり、その奥にあるらしい美と善との世界を、さらに魅力的にしたようである。若き春! 地上には花さえ美しいのにさらに娘というものがある。彼女たちは一体何も・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・子供が自分の衝動の赴くまゝに、やりたい要求からやったことが、先生から見て悪いことがたび/\ある。子供はそこで罰せられねばならない。しかも、それは、子供ばかりにあるのではなかった。誰れにでもあることだ。人間には、どんなところに罪が彼を待ち受け・・・ 黒島伝治 「穴」
出典:青空文庫