・・・没後、そちらの門から出入りする部分には誰かが住んで、肴町への通りにある裏門に表札がかけられていた。おとなしい門の上に古風な四角いランプ型の門燈が立てられて、アトリエらしい室が見えた。門のすぐわきにバスの停留場があった。 空襲ではそこも焼・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・これまで、日本ではただの一遍も通行人に読まれたことのなかった表札であった。赤旗という新聞を知っているものも、その編輯局と印刷局が、どういうところにあるのかは知っていなかった。人々が十数年前、どこか市内の土蔵の地下室にその印刷所があったことを・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・一方の柱に岡本未と云う小さい表札がうってある。「此処だろう」 家主は牛込に居た。其処でAは一つ門の中に二軒の家のある、此処を教わって来たのであった。 建仁寺のひどく壊れた外廻りを見廻し、自分は黙って潜り戸をあけた。そして、左右に・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・あすこの右側だったかでそういう表札を見かけたことがありますよ。でも、栄さんまでいるとはおどろいたわねえ。一体その栄さんて、どんな栄さんなんだろ、と栄さんが云うにつれて、私たちは思わず大きな体を折りまげてふき出した。どっちもまん丸な私たち二人・・・ 宮本百合子 「まちがい」
・・・あなたの色紙を貰ってくれというのは、何んでも数学をやる友人の中に、あなたの家の標札を盗んで持ってるものがいるので、よし、おれは色紙を貰って見せると、ついそう云ってしまったらしいのです。」 梶は十年も前、自宅の標札をかけてもかけても脱され・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫