・・・僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙」を読んでいました。するとそこへ襖をあけていきなり顔を出したのは下の部屋にいるM子さんです。僕はちょっと狼狽し、莫迦莫迦しいほどちゃんと坐り直しました。「あら、皆さんはいらっ・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・黄いろい表紙をした「希臘神話」は子供の為に書かれたものらしかった。けれども偶然僕の読んだ一行は忽ち僕を打ちのめした。「一番偉いツォイスの神でも復讐の神にはかないません。……」 僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・そのまた飛び方が両方へ表紙を開いて、夏の夕方に飛び交う蝙蝠のように、ひらひらと宙へ舞上るのです。私は葉巻を口へ啣えたまま、呆気にとられて見ていましたが、書物はうす暗いランプの光の中に何冊も自由に飛び廻って、一々行儀よくテエブルの上へピラミッ・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・銀行から歳暮によこす皮表紙の懐中手帳に、細手の鉛筆に舌の先の湿りをくれては、丹念に何か書きこんでいた。スコッチの旅行服の襟が首から離れるほど胸を落として、一心不乱に考えごとをしながらも、気ぜわしなくこんな注意をするような父だった。 停車・・・ 有島武郎 「親子」
・・・手箱ほど部の重った、表紙に彩色絵の草紙を巻いて――鼓の転がるように流れたのが、たちまち、紅の雫を挙げて、その並木の松の、就中、山より高い、二三尺水を出た幹を、ひらひらと昇って、声するばかり、水に咽んだ葉に隠れた。――瞬く間である。―― ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 襖がすらりとあいたようだから、振返えると、あらず、仁右衛門の居室は閉ったままで、ただほのかに見える散れ松葉のその模様が、懐しい百人一首の表紙に見えた。 泉鏡花 「縁結び」
・・・ しかし、細目に開けた、大革鞄の、それも、わずかに口許ばかりで、彼が取出したのは一冊赤表紙の旅行案内。五十三次、木曾街道に縁のない事はないが。 それを熟と、酒も飲まずに凝視めている。 私も弁当と酒を買った。 大な蝦蟆とでもあ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ドウしてコンナ、そこらに転がってる珍らしくもないものを叮嚀に写して、手製とはいえ立派に表紙をつけて保存する気になったのか今日の我々にはその真理が了解出来ないが、ツマリ馬琴に傾倒した愛読の情が溢れたからであるというほかはない。私の外曾祖父とい・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・その表紙には『忘れ得ぬ人々』と書いてある。『それはほんとにだめですよ。つまり君の方でいうと鉛筆で書いたスケッチと同じことで他人にはわからないのだから。』といっても大津は秋山の手からその原稿を取ろうとはしなかった。秋山は一枚二枚開けて・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 学生時代私はノートの表紙に、こう書きつけて勉強のはげましにした。 四 青春の長さと童貞 恋愛は倫理的なあこがれであるだけでなく、肉体的、感覚的な要請であることはいうまでもない。それは、露わにいえば、手を、唇を、・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫