・・・ 文芸を愛好する故に倫理学を軽視するという知識青年の風潮は確かに青年層の人格的衰弱の徴候といわねばならぬ。 四 社会運動と倫理学 青年層にはまた倫理学を迂遠でありとし、象牙の塔に閉じこもって、現実の世相を知らない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・軽い胸の病気に伴い易い神経衰弱にもかゝっていた。そして頭の中に不快なもがもがが出来ていた。「これ二反借って来たんは、丸文字屋にも知らんのじゃけど……」 もう行ったことに思っていたお里が、また枕頭へやって来た。「あの、品の肩掛けと・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・ 観音経を唱えていた神経衰弱の伍長が、ふと、湯呑をチンチン叩くのをやめた。 負傷者は、傷をかばいながら、頭を擡げて窓口へ顔を集めた。五六台の橇が院庭へ近づいてきた。橇は、逆に馬をうしろへ引きずって丘を辷り落ちそうに見えた。馭者台から・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・その頃は世間に神経衰弱という病名が甫めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士たちの診断も朦朧で、人によって異る不明の病に襲われて段衰弱した。切詰めた予算だけしか有して・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・めっきり此頃、衰弱なさったそうだ。いつ、どんな事になるか、わかりやしませんよ。その時、このままの関係でいたんじゃ、まずい。事がめんどうですよ。」「そうですね。」私は憂鬱だった。「そうでしょう? だから、いま此の機会に、私が連れて行き・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・一度、君の病床に訪ねて、いろいろ話したいと思っているのだけれど、僕も大変多忙な上に、少々神経衰弱気味で参っているのだ。正月にでもなったら、ゆっくりお訪ねできることと思う。永野、吉田両君には先夜会った。神経をたかぶらせないでお身お大事に勉強し・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・たまたま腐った蛋白を喰って中毒した人があったからと云って蛋白質を厳禁すれば衰弱する。 電車で逢った背広服の老子のどの言葉を国定教科書の中に入れていけないといういわれを見出すことが出来なかった。日本魂を腐蝕する毒素の代りにそれを現代に活か・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ある会社のある工場に新たに就職した若い男が、就職後間もなく誰かから自分の前任者が二人まで夭死をしたこと、その原因がその工場で発生する毒瓦斯のためらしいという話を聞き込んで、ひどく驚きおびえて、少し神経衰弱のような状態になっていると聞いた。し・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定に入れないにしたところでわずかその半に足らぬ歳月で明々地に通過し了るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱に罹って、気息奄々として今や路傍に呻・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄の具足とを買うべく余儀なくせられたる家族は、沢庵の尻尾を噛って日夜齷齪するにもかかわらず、夜番の方では頻りに刀と具足の不足を訴えている。われらは渾・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
出典:青空文庫