・・・水戸藩邸の最後の面影を止めた砲兵工廠の大きな赤い裏門は何処へやら取除けられ、古びた練塀は赤煉瓦に改築されて、お家騒動の絵本に見る通りであったあの水門はもう影も形もない。 表町の通りに並ぶ商家も大抵は目新しいものばかり。以前この辺の町には・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・の弟子で、家は佐竹ッ原だという――いつもこの娘と連立って安宅蔵の通を一ツ目に出て、両国橋をわたり、和泉橋際で別れ、わたくしはそれから一人とぼとぼ柳原から神田を通り過ぎて番町の親の家へ、音のしないように裏門から忍び込むのであった。 毎夜連・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・そこで青年たちが来る毎に、僕は裏門をあけてそっと入れ、家人に気兼ねしながら話さねばならなかった。それは僕にとって非常に辛く、客と両方への気兼ねのために、神経をひどく疲らせる仕末だった。僕は自然に友人を避け、孤独で暮すことを楽しむように、環境・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 天神の裏門を境内に這入ってそこの茶店に休んだ。折あしく池の泥を浚えて居る処で、池は水の気もなく、掘りかけてある泥の深さが四、五尺もある。二、三十人の人夫は泥を掘る者もあるその掘った泥を運ぶ者もある。皆泥にまぶれて居る者ばかりだ。泥の臭・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・春風や堤長うして家遠し雉打て帰る家路の日は高し玉川に高野の花や流れ去る祇や鑑や髭に落花をひねりけり桜狩美人の腹や減却す出べくとして出ずなりぬ梅の宿菜の花や月は東に日は西に裏門の寺に逢著す蓬かな山彦の南はいづ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ ドロンとした空に恥をさらして居る気の利かない桐を見た目をうつすと、向うと裏門の垣際に作られた花園の中の紅い花が、びっくりするほど華に見える。 鶏が入らない様にあらい金網で仕切られた五坪ほどの中に六つ七つの小分けがつけてある。 ・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・没後、そちらの門から出入りする部分には誰かが住んで、肴町への通りにある裏門に表札がかけられていた。おとなしい門の上に古風な四角いランプ型の門燈が立てられて、アトリエらしい室が見えた。門のすぐわきにバスの停留場があった。 空襲ではそこも焼・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・うちの裏門を出て、夜になるとふくろうの鳴く藤堂さんの森のくらい横丁をまわって動坂のとおりへ出ると、ばら新といって、ばらばかり育てているところがある。魚屋だの米や、荒物やだのの並んだせまいそのとおりをすこし行って左へ曲ると、じき養源寺があった・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ 巡査は、毛虫だらけの雑木の中をくぐって、垣根際まで行ったり、裏門の扉によじ登ったりして見た。「このトタン塀はのぼれませんがね、 ちと此の門の方がくさい。 一体斯う云う風に横木を細かく打った戸は、風流ではあるが、足が・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・添島、野村は当時百石のものである。裏門の指揮役は知行五百石の側者頭高見権右衛門重政で、これも鉄砲組三十挺の頭である。それに目附畑十太夫と竹内数馬の小頭で当時百石の千場作兵衛とがしたがっている。 討手は四月二十一日に差し向けられることにな・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫