・・・狐の襟巻をすると、急に嘘つきになるマダムがいた。ふだんは、実に謙遜なつつましい奥さんであるのだが、一旦、狐の襟巻を用い、外出すると、たちまち狡猾きわまる嘘つきに変化している。狐は、私が動物園で、つくづく観察したところに依っても、決して狡猾な・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・或る婦人団体の幹事さんたちが狐の襟巻をして、貧民窟の視察に行って問題を起した事があったでしょう? 気を附けなければいけません。小説に依ると戸田さんは、着る着物さえ無くて綿のはみ出たドテラ一枚きりなのです。そうして家の畳は破れて、新聞紙を部屋・・・ 太宰治 「恥」
・・・赤い襟巻を掻き合せて、顎をうずめた。 レヴュウを見て、それから、外を歩いて、三人、とりやへはいった。静かな座敷で、卓をかこみ、お酒をのんだ。三人、血をわけたきょうだいのようであった。「しばらく旅行に出るからね、」乙彦は、青年を相手に・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・毛糸の襟巻と、厚いシャツ一枚は、かばんに容れて持って来ました。旅館へ着いて、私は、すぐに寝てしまいました。けれども、少しも眠れませんでした。 ひる少し前に起きて、私は、ごはんを食べました。生鮭を、おいしいと思いました。信濃川からとれるよ・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・ 自分の白いネルの襟巻がよごれてねずみ色になっているのを、きたないからと言って女中にせんたくさせられたこともあったが、とにかく先生は江戸ッ子らしいなかなかのおしゃれで、服装にもいろいろの好みがあり、外出のときなどはずいぶんきちんとしてい・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ ある冬の日の本郷通りで会った四方太氏は例によってきちんとした背広に外套姿であったが、首には玉子色をしたビロードらしい襟巻をしていた。その襟巻を行儀よく二つ折りにした折り目に他方の端をさし込んだその端がしわ一つなくきちんとそろって結び文・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・小さい新聞紙の包を大事そうにかかえて電車を下りると立止って何かまごまごしていたが、薄汚い襟巻で丁寧に頸から顋を包んでしまうと歩き出した。ひょろ長い支那人のような後姿を辻に立った巡査が肩章を聳かして寒そうに見送った。 竹村君は明けると三十・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・学校へ行く時、母上が襟巻をなさいとて、箪笥の曳出しを引開けた。冷えた広い座敷の空気に、樟脳の匂が身に浸渡るように匂った。けれども午過には日の光が暖く、私は乳母や母上と共に縁側の日向に出て見た時、狐捜しの大騒ぎのあった時分とは、庭の様子が別世・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 押詰められて、じじむさい襟巻した金貸らしい爺が不満らしく横目に睨みかえしたが、真白な女の襟元に、文句はいえず、押し敷かれた古臭い二重廻しの翼を、だいじそうに引取りながら、順送りに席を居ざった。赤いてがらは腰をかけ、両袖と福紗包を膝の上・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・しかし若い男や女が、二重廻やコートや手袋襟巻に身を粧うことは、まだ許されていない時代である。貧家に育てられたらしい娘は、わたくしよりも悪い天気や時侯には馴れていて、手早く裾をまくり上げ足駄を片手に足袋はだしになった。傘は一本さすのも二本さす・・・ 永井荷風 「雪の日」
出典:青空文庫