・・・その一人はやはりアッシジの貴族で、クララの家からは西北に当る、ヴィヤ・サン・パオロに住むモントルソリ家のパオロだった。夢の中にも、腰に置いた手の、指から肩に至るしなやかさが眼についた。クララの父親は期待をもった微笑を頬に浮べて、品よくひかえ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・とばかり吐息とともにいったのであるが、言外おのずからその明眸の届くべき大審院の椅子の周囲、西北三里以内に、かかる不平を差置くに忍びざる意気があって露れた。「どうぞまあ、何は措きましてともかくもう一服遊ばして下さいまし、お茶も冷えてしまい・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・……(寒い風だよ、ちょぼ一風と田越村一番の若衆が、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風の烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、門の戸をしめた勢で、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返した。アッと思うと、中・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 茄子畑というは、椎森の下から一重の藪を通り抜けて、家より西北に当る裏の前栽畑。崖の上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一えんが見渡される。秩父から足柄箱根の山山、富士の高峯も見える。東京の上野の森だと云うのもそれ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・登勢も名を知っている彦根の城主が大老になった年の秋、西北の空に突然彗星があらわれて、はじめ二三尺の長さのものがいつか空いっぱいに伸びて人魂の化物のようにのたうちまわったかと思うと、地上ではコロリという疫病が流行りだして、お染がとられてしまっ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ どこを画こうかと撰んで見たが、森その物は無論画いたところで画としてはかえっておもしろくないから、何でも森を斜に取って西北の地平線から西へかけて低いところにもしゃもしゃと生えてる楢林あたりまでを写して見ることに決めた。 道は随分暑か・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・木の枝は一つが東に向ッて生える、その上の枝は南それから西北という工合に螺旋している。花を能く見玉え、必らず螺形に花びらが出ている。朝顔の花の咲かない間は即ち渦をなしている。釘も螺状の釘が良いのサ。コロック抜きも螺状をなしているから能く突込め・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・家の西北の隅に、異様に醜怪の、不浄のものが、とぐろを巻いてひそんで在るようで、机に向って仕事をしていながらも、どうも、潔白の精進が、できないような不安な、うしろ髪ひかれる思いで、やりきれないのである。どうにも、落ちつかない。 夜、ひとり・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・』 そもそも北京郊外万寿山々麓の昆明湖、その湖の西北隅、意外や竜が現われた。とし古く住む竜にして、というのは嘘。 おじさんが、いま牢へはいっているんだったら、いいな。そうすると私は、毎日、大得意で、ニュウスをお送りできるのだけれ・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・私たちの借りている家賃六円五拾銭の草庵は、甲府市の西北端、桑畑の中にあり、そこから湯村までは歩いて二十分くらい。家内は、朝ごはんの後片附がすむと、湯道具持って、毎日そこへ通った。家内の話に依れば、その湯村の大衆浴場は、たいへんのんびりして、・・・ 太宰治 「美少女」
出典:青空文庫