・・・そういう次第であるから、わが国で、鈴木清太郎、藤原咲平、田口たぐちりゅうざぶろう、平田森三、西村源六郎、高山威雄諸氏の「割れ目の研究」、またこれに連関した辻二郎君の光弾性的研究や、黒田正夫君のリューダー線の研究、大越諄君の刃物の研究等は、い・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・四月十日 朝十時の奏楽のときに西村氏がそばへ来て楽隊のスケッチをしていた。ボーイがリモナーデを持って来たのを寝台の肱掛けの穴へはめようとしたら、穴が大きすぎたのでコップがすべり落ちて割れた。そばにいた人々はだれも知らん顔をしていた。・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ ○メゾン ファシール、 ○チョプスイ。○アムステルダム ○岩本さんのところ。○バン コートランド。 ○オペラ。 ○芝居。 ○西村さんのところ。 〔欄外に〕插話。 講演会。日米週報社より、本田が広告を見て・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・それで江井も大いに頭をしぼり、向島の西村の土地のがら空きのところへアパートを建てることになり、それで江井の安定の手段とすることになりました。私はやっと肩の重荷をおろしました。何しろ、こういう話、スエ子の話、皆、百合子様、お姉様なのです。この・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・大きい墓にも西村泊翁という下に先生之墓とかかれている。そして、その墓のある寺にはなくて別の寺に一つだけとり離して立てられてある。 小さい時分はよく祖母につれられてこの墓詣りをしたが、千賀子という名であったその祖母は、この墓に向ってさえ何・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 私たち中條の子供たち、特に上の二人にとって、西村の伯父様という名は、特別に親しみがあった。その伯父様はいつも、品川の伯父さんと母に呼ばれ、明治三十七年頃から数年間父が外国暮しをしていた間、若い母は子供三人、義妹義弟との生活のなかで・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出させ、さて、一行は、庫裏のよこてから、井戸へゆくのだった。 いよいよ井戸へ向うことになると、子供たちは勇みたった。それは、もう牧田の牛が目のさきだからだった。け・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ 奈良から鹿のハガキ カーターの魔術を見に祖母をつれてゆかれる父 八月六日 九十五度 西村さん、 自分のヒステリー的傾向。 十日にかえる。自分辛く、顔を見るのが苦痛。うまく笑えず H、A、 西村、「二三度斯う・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
・・・ 母の生れた西村という家は佐倉の堀田家の藩士で、決して豊かな家柄ではなかったらしい。しかし葭江と呼ばれた総領娘である母の娘盛りの頃は、その父が官吏として相当な地位にいたために、おやつには焼きいもをたべながら、華族女学校へは向島から俥で通・・・ 宮本百合子 「母」
母中條葭江は、明治八年頃東京築地で生れ、五十九歳で没しました。母の実家というのは西村と申し、千葉の佐倉宗五郎の伝説で知られている堀田藩の士で、祖父の代は次男だったので、武術の代りに好きな学問でもやれと言って国学、漢学、蘭学・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
出典:青空文庫