・・・もっとも後になって聞けば、これは「本間さんの西郷隆盛」と云って、友人間には有名な話の一つだそうである。して見ればこの話もある社会には存外もう知られている事かも知れない。 本間さんはこの話をした時に、「真偽の判断は聞く人の自由です」と云っ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・泰山前に頽るるともビクともしない大西郷どんさえも評判に釣込まれてワザワザ見物に来て、大に感服して「万国一覧」という大字の扁額を揮ってくれた。こういう大官や名家の折紙が附いたので益々人気を湧かして、浅草の西洋覗眼鏡を見ないものは文明開化人でな・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・大学もまた坪内君の功労を認めざるを得なかったのであろう。下らぬ比較をするようだが、この三君を維新の三傑に比べたなら高田君は大久保甲東で、天野君は木戸である。大西郷の役廻りはドウシテモ坪内君に向けなければならぬ。坪内君がいなかったら早稲田は決・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・換言すれば骨董は一種の不換紙幣のようなものになったので、そしてその不換紙幣の発行者は利休という訳になったようなものである。西郷が出したり大隈が出したりした不換紙幣は直に価値が低くなったが、利休の出した不換紙幣はその後何百年を経てなおその価値・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・和服姿の中畑さんは、西郷隆盛のようであった。 中畑さんのお家へ案内された。知らせを聞いて、叔母がヨチヨチやって来た。十年、叔母は小さいお婆さんになっていた。私の前に坐って、私の顔を眺めて、やたらに涙を流していた。この叔母は、私の小さい時・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ 上野の山へのぼった。ゆっくりゆっくり石の段々を、のぼりながら、「少しは親爺の気持も、いたわってやったほうが、いいと思うぜ。」「はあ。」青年は、固くなって返辞した。 西郷さんの銅像の下には、誰もいなかった。私は立ちどまり、袂・・・ 太宰治 「座興に非ず」
・・・ できるだけ余念なさそうな口調で言って、前方の西郷隆盛の銅像をぼんやり眺めた。馬場は助かったようであった。いつもの不機嫌そうな表情を、円滑に、取り戻すことができたのである。「ところが、――僕には小説が書けないのだ。君は怪談を好むたち・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・大西郷は、眼さむるとともに、ふとん蹴ってはね起きてしまったという。菊池寛は、午前三時でも、四時でも、やはり、はね起き、而して必ず早すぎる朝食を喫するという。すべて、みな、この憂さに沈むことの害毒を人一倍知れる心弱くやさしき者の自衛手段と解し・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・まち医者は三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似ていた。たいへん酔っていた。私と同じくらいにふらふら酔って診察室に現われたので、私は、おかしかった。治療を受けながら、私がくすくす笑ってしまった。するとお医者もくすくす笑い出し、とうとうたまり・・・ 太宰治 「満願」
・・・この前の乙亥は明治八年であるが、もしどこかに、乙亥の年に西郷隆盛が何かしたという史実の記録があれば、それは確実に明治八年の出来事であって、昭和十年でもなくまた文化十二年でもないことが明白である。 明治八年とだけでは場合によってはずいぶん・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫