・・・「ここは私の家だよ。見ず知らずのお前さんなんぞに、奥へはいられてたまるものか」「退け。退かないと射殺すぞ」 遠藤はピストルを挙げました。いや、挙げようとしたのです。が、その拍子に婆さんが、鴉の啼くような声を立てたかと思うと、まる・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・が、男とも別れた今、その白犬を後に残して、見ず知らずの他国へ行くのは、どう考えて見ても寂しかった。だからいよいよ立つと云う前夜、彼女は犬を抱き上げては、その鼻に頬をすりつけながら、何度も止めどない啜り泣きを呑みこみ呑みこみしたものだった。…・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・しかしそれは第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを条件としている。 又 わたしは第三者を愛する為に夫の目を偸んでいる女にはやはり恋愛を感じないことはない。しかし第三者を・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・のありしかど末のためと目をつぶりて折節橋の上で聞くさわぎ唄も易水寒しと通りぬけるに冬吉は口惜しがりしがかの歌沢に申さらく蝉と螢を秤にかけて鳴いて別りょか焦れて退きょかああわれこれをいかんせん昔おもえば見ず知らずとこれもまた寝心わるく諦めてい・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・けれども彼女が根本からの治療を受けるために自分の身体を医者に診せることだけは避け避けしたのは、旦那の恥を明るみへ持出すに忍びなかったからで。見ず知らずの女達から旦那を通して伝染させられたような病毒のために、いつか自分の命の根まで噛まれる日の・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・毎月働いても十八円の給金にしかならないと言いたげなこの婆やは、見ず知らずの若者が私のところから持って行く一円、二円の金を見のがさなかった。 そういう私たちの家では、明日の米もないような日がこれまでなかったというまでで、そう余裕のある生活・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・彼は生まれ落ちると同時に人類を敵として見なければならない運命を授けられるのに、これははじめから人間の好意に絶対の信頼をおいている。見ず知らずの家にもらわれて来て、そしてもうそこをわが家として少しも疑わず恐れてもいない。どんなにひどく扱われて・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・自分が書いたものが斯んな見ず知らずの人から同情を受けて居ると云う事を発見するのは非常に難有い。今出版の機を利用して是等の諸君に向って一言感謝の意を表する。 此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な文章であるから、たとい此一・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』上篇自序」
・・・「じゃあ何だって、友達を素っ裸にして、病人に薬もやらないで、おまけに未だ其上見ず知らずの男にあの女を玩具にさすんだ」「俺達はそうしたい訳じゃないんだ、だがそうしなけれゃあの女は薬も飲めないし、卵も食えなくなるんだ」「え、それじゃ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べる・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫