・・・「二月×日 俺は今日午休みに隆福寺の古本屋を覗きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。藍色の幌を張った支那馬車である。馭者も勿論馬車の上に休んでいたのに違いない。が、俺は格別気にも止めずに・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ 洋一はそれでも珍しそうに、叔母の読んでいる手紙を覗きこんだ。「二町目の角に洋食屋がありましょう。あの露路をはいった左側です。」「じゃ君の清元の御師匠さんの近所じゃないか?」「ええ、まあそんな見当です。」 神山はにやにや・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・婆やは膝をついたなりで覗きこむように、お母さんと八っちゃんの顔とのくっつき合っているのを見おろしていた。 その中に八っちゃんが胸にあてがっていた手を放して驚いたような顔をしたと思ったら、いきなりいつもの通りな大きな声を出してわーっと泣き・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・ばたりと煽って自から上に吹開く、引窓の板を片手に擡げて、倒に内を覗き、おくの、おくのとて、若き妻の名を呼ぶ。その人、面青く、髯赤し。下に寝ねたるその妻、さばかりの吹降りながら折からの蒸暑さに、いぎたなくて、掻巻を乗出でたる白き胸に、暖き息、・・・ 泉鏡花 「一景話題」
一「謹さん、お手紙、」 と階子段から声を掛けて、二階の六畳へ上り切らず、欄干に白やかな手をかけて、顔を斜に覗きながら、背後向きに机に寄った当家の主人に、一枚を齎らした。「憚り、」 と身を横に・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ お婆さんは起きて来て、戸を細目にあけて外を覗きました。すると、一人の色の白い女が戸口に立っていました。 女は蝋燭を買いに来たのです。お婆さんは、少しでもお金が儲かるなら、決していやな顔付をしませんでした。 お婆さんは、蝋燭の箱・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・しかし、男は私の顔を覗きこんで、ひとりうなずいた。「黙ったはるとこ見ると、やっぱり聴きはったんやな。――なんぞ僕のわるいことを聴きはったんやろ。しかし、言うときまっけどね。彼女の言うことを信用したらあきまへんぜ。あの女子は嘘つきですよっ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・それかあらぬか、父は生れたばかりの私の顔をそわそわと覗きこんで、色の白いところ、鼻筋の通ったところ、受け口の気味など、母親似のところばかり探して、何となく苦りきっていたといいます。父は高座へ上ればすぐ自分の顔の色のことを言うくらい色黒で、鼻・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 今にも泣き出しそうに瞬たいている彼の眼を覗き込んで、Kは最後の宣告でも下すように、斯う云った。 二 ………… 眼を醒まして見ると、彼は昨夜のまゝのお膳の前に、肌襦袢一枚で肱枕して寝ていたのであった。身体中そ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 明いていた入口から、コックや女中たちの顔が、かわるがわる覗きこんだ。若い法学士はというと、彼はこの思いがけない最後の――作家なぞという異った社会の悲喜劇? に対してひどく興味を感じたらしく、入口の柱にもたれて皆なの後ろから、金縁の近眼・・・ 葛西善蔵 「遁走」
出典:青空文庫