・・・いつかあたしが、足の親指の爪をはがした時、お母さんは顔を真蒼にして、あたしの指に繃帯して下さりながら、めそめそお泣きになって、あたし、いやらしいと思ったわ。また、いつだったか、あたしはお母さんに、お母さんはでも本当は、あたしよりも栄一のほう・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・まずこぶしの作りかたから研究した。親指をこぶしの外へ出して置くと親指をくじかれるおそれがある。次郎兵衛はいろいろと研究したあげく、こぶしの中に親指をかくしてほかの四本の指の第一関節の背をきっちりすきまなく並べてみた。ひどく頑丈そうなこぶしが・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ぽんと本を投げ出して、それから机の引き出しをあけ、チョコレートの箱と、ドロップの缶を取りだし、実にどうにも気障な手つきで、――つまり、人さし指と親指と二本だけ使い、あとの三本の指は、ぴんと上に反らせたままの、あの、くすぐったい手つきでチョコ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・オランダ人で伝法肌といったような男がシェンケから大きな釣り針を借りて来てこれに肉片をさし、親指ほどの麻繩のさきに結びつけ、浮標にはライフブイを縛りつけて舷側から投げ込んだ。鱶はつい近くまで来てもいっこう気がつかないようなふうでゆうゆうと泳い・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・と主婦が尋ねたら、一座の中の二人のイタリア女の若い方が軽く立上がって親指で自身の胸を指さし、ただ一言ゆっくり静かに Il mio. と云った。そのときほど私はイタリア語というものを優美なものに思ったことはないような気がする。 ドイツの冬・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・縄でしばった南京袋の前だれをあてて、直径五寸もある大きな孟宗竹の根を両足の親指でふんまえて、桶屋がつかうせんという、左右に把手のついた刃物でけずっていた。ガリ、ガリ、ガリッ……。金ぞくのようにかたい竹のふしは、ときどきせんをはねかえしてから・・・ 徳永直 「白い道」
・・・柿は親指と人さし指との間から見えて居る処で、これを画きあげるのは非常の苦辛であった。そこへ虚子が来たからこの画を得意で見せると、虚子は頻りに見て居たが分らぬ様子である。「それは手に柿を握って居るのだ」と説明して聞かすと、虚子は始めて合点した・・・ 正岡子規 「画」
・・・一人一日五十グラムですよ。親指三本の大さですよ。腹が空りはしませんか。 よくおわかりにならないようですがもっと手短かに云いますともし人間が自然と相談して牛肉や豚肉の代りに何か損にならないものをよこして呉れと云えば今よりもっとたくさんの人・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 人さし指と親指で暫く顎を撫でながら考えた後、お婆さんは、「よろしゅうございます」と答えました。「拵えて差上げましょう。どうぞ直ぐ糸と布とを下さいませ」 お城の倉からは、早速三巻の七色の絹糸と、真珠のような色をした白絹の・・・ 宮本百合子 「ようか月の晩」
・・・議論ニ熱中シタ時ニ親指ヲ立テテ拳固ヲ握ル癖アリ」等々。 今はイタリーからソヴェト同盟に帰って党員となり、老年にかかわらず熱心にソヴェト同盟の社会主義建設に努力しているマキシム・ゴーリキイも室内檻禁にあったことがある。むずかしい顔をし・・・ 宮本百合子 「ロシアの過去を物語る革命博物館を観る」
出典:青空文庫