・・・そッときいて、……内心恐れた工料の、心づもりよりは五分の一だったのに勢を得て、すぐに一体を誂えたのであった。――「……なれども、おみだしに預りました御註文……別して東京へお持ちになります事で、なりたけ、丹、丹精を抽んでまして。」 と・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・……柱も天井も丈夫造りで、床の間の誂えにもいささかの厭味がない、玄関つきとは似もつかない、しっかりした屋台である。 敷蒲団の綿も暖かに、熊の皮の見事なのが敷いてあるは。ははあ、膝栗毛時代に、峠路で売っていた、猿の腹ごもり、大蛇の肝、獣の・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 昼飯の支度は、この乳母どのに誂えて、それから浴室へ下りて一浴した。……成程、屋の内は大普請らしい。大工左官がそちこちを、真昼間の夜討のように働く。……ちょうな、鋸、鉄鎚の賑かな音。――また遠く離れて、トントントントンと俎を打つのが、ひ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ちょうどお誂え、苔滑……というと冷いが、日当りで暖い所がある。さてと、ご苦労を掛けた提灯を、これへ置くか。樹下石上というと豪勢だが、こうした処は、地蔵盆に筵を敷いて鉦をカンカンと敲く、はっち坊主そのままだね。」「そんなに、せっかちに腰を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・というと、さもこそといわぬばかりに、「ある、ある、打って付けのお誂え向きという女がある。技術はこれから教育まにゃならんが、技術は何でもない。それよりは客扱い――髯の生えた七難かしい軍人でも、訳の解らない田舎の婆さんでも、一視同仁に手の中に丸・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ で、間もなくお誂えが来る。男は徳利を取り揚げて、「さあ、熱いのが来たから、一つ注ごう」 女も今度は素直に盃を受けて、「そうですか、じゃ一つ頂戴しましょう。チョンボリ、ほんの真似だけにしといておくんなさいよ」「何だい卑怯なことを・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・今日は気も晴々として、散歩には誂え向きというよい天気ですなア。お父様は先刻どこへかお出かけでしたな。といつもの調子軽し。 ですが親父が帰って来て案じるといけませんから、あまり遠くへは出られませぬ。と光代は浮足。なに、お部屋からそこらはど・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ そのうちに学士の誂えた銚子がついて来た。建増した奥の部屋に小さなチャブ台を控えて、高瀬は学士とさしむかいに坐って見た。一口やるだけの物がそこへ並んだ。 学士はこの家の子のことなどを親達に尋ねながら、手酌で始めた。「高瀬君、まあ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・月給の中から黒い背広を新規に誂えて、降っても照ってもそれを着て学校へ通うことにした。しかし、その新調の背広を着て見ることすら、彼には初めてだ。「どうかして、一度、白足袋を穿いて見たい」 そんなことすら長い年月の間、非常な贅沢な願いの・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・ 料理を誂えておいて、辰之助が馴染の女でも呼ぶらしく自身電話をかけている間に、道太は風呂場へ行った。そして水をうめているところへ彼もやってきた。「去年の九月を思いだすね」道太は湯に浸りながら言った。「さよさよ。あの時はどうも……・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫