・・・ 全体主義哲学の認識論に於いて、すぐさま突き当る難関は、その認識確証の様式であろう。何に依って表示するか。言葉か。永遠にパンセは言葉にたよる他、仕方ないものなのか。音はどうか。アクセントはどうか。色彩はどうか。模様はどうか。身振りはどう・・・ 太宰治 「多頭蛇哲学」
・・・の先頭に立つものではない、強い性格者であり認識の促進者たるべき人の多面性は語学知識の広い事ではなくて、むしろそんなものの記憶のために偏頗に頭脳を使わないで、頭の中を開放しておく事にある、と云っている。「人間は『鋭敏に反応する』ように教育・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・それで今甲の影像の次に乙の影像を示された観客はその瞬間においてその観客の通い慣れた甲乙間の通路の心像を電光に照らされるごとく認識するのであろう。 それで映画や連句のモンタージュが普遍的な効果を収めうるためには、作者が示そうとする「通路」・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・かくする事によって観客はほんとうのパリとフランスとその人間とをその正常の姿において認識することができるであろう。 ルネ・クレールという作者の意図がどこにあるかはもちろん知るよしもないが、この発声映画は上記のような意味において私に発声映画・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。――明治四三、七、二三『東京朝日新聞』――・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚る。「わしは歌麻呂のかいた美人を認識したが、なんと画を活かす工夫はなかろか」とまた女の方を向く。「私には――認識した御本人でなくては」と団扇のふさを繊い指に巻・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・これは一例ですが開化が進むにつれてこういう贅沢なものの数が殖えてくるのは誰でも認識しない訳に行かないでしょう。のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなか・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
一 カント哲学以来、デカルト哲学は棄てられた。独断的、形而上学的と考えられた。哲学は批評的であり、認識論的でなければならないと考えられている。真の実在とは如何なるものかを究明して、そこからすべての問題・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・だが最後に到着し、いつものプラットホームに降りた時、始めて諸君は夢から醒め、現実の正しい方位を認識する。そして一旦それが解れば、始めに見た異常の景色や事物やは、何でもない平常通りの、見慣れた詰らない物に変ってしまう。つまり一つの同じ景色を、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・きっと、より宏い人生への理解、愛、認識が加えられています。恋愛ばかりは、真に主観的な豊富さから見ると、失っても得ても、ともに尊い、有難いものと云えます。その一段深まり拡った人間と自然との生存を味わせようとして、神は人間に複雑な全心的な恋愛の・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
出典:青空文庫