・・・私は親類や知人の誰彼が避暑先からよこした絵葉書などを見る度に、なんだか子供等にまだなんらかの負債をしているような心持を打消す事が出来なかった。 ある夕方一同が涼み台と縁側に集まっていろんな話をしている間に、去年みんなである夜銀座へ行って・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・日本やドイツの誰彼に年賀の絵端書を書きながら罎詰のミュンシナーを飲んでいるうちに眠くなって寝てしまった。 明くれば元旦である。ヴェスヴィオ行きの準備をして玄関へ出ると、昨日のポルチエーが側へ来て人の顔を見つめて顔をゆがめてそうして肩をす・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ それから後に気を付けて見ると同年輩の友人の中の誰彼の額やこめかみにも、三尺以上距れていてもよく見えるほどの白髪を発見した。まだ自分等よりはずっと若い人で自分より多くの白髪の所有者もあった。ある時たまたま逢った同窓と対話していた時に、そ・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・五六人の女婢手を束ねて、ぼんやり客俟の誰彼時、たちまちガラ/\ツとひきこみしは、たしかに二人乗の人力車、根津の廓からの流丸ならずば権君御持参の高帽子、と女中はてん/″\に浮立つゝ、貯蓄のイラツシヤイを惜気もなく異韻一斉さらけだして、急ぎいで・・・ 永井荷風 「上野」
・・・今幸に知らざる人の盾を借りて、知らざる人の袖を纏い、二十三十の騎士を斃すまで深くわが面を包まば、ランスロットと名乗りをあげて人驚かす夕暮に、――誰彼共にわざと後れたる我を肯わん。病と臥せる我の作略を面白しと感ずる者さえあろう。――ランスロッ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・吾思う人の為めにと箸の上げ下しに云う誰彼に傚って、わがクララの為めにと云わぬ事はないが、その声の咽喉を出る時は、塞がる声帯を無理に押し分ける様であった。血の如き葡萄の酒を髑髏形の盃にうけて、縁越すことをゆるさじと、髭の尾まで濡らして呑み干す・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 御供をし又それを静かに引いて柩は再び皆の手に抱かれて馬車にのせられ淋しい砂利路を妹の弟と身内の誰彼の眠って居る家の墓地につれられた。 赤子のままでこの世を去った弟と頭を合わせて妹の安まるべき塚穴は掘ってあった。 私はその塚穴の・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・前線に愛する誰彼を出しているような人にとって、厄災と云う字は笑いすてきれないかげを投げるだろう。 幸運の手紙は、従って人々がともかく幸福らしいものをたっぷりもって暮している世情の中では、効力を余り発揮しない。幸福や幸運というものがいかに・・・ 宮本百合子 「幸運の手紙のよりどころ」
・・・そして、スタインベックが旅行記をかいたように、その他ヨーロッパの誰彼が旅行記をかいたように、日本の作家には外国がかけないのであるというように云われた。 スタインベックの「ソヴェート旅行記」は魅力のある報告であった。そこには、一九二七―三・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・そして、そういう思いは、わたしと同級生であった誰彼のひとたちが、もしその雑誌をよむとしたら、やっぱり同じように感じる思いではなかろうかと思う。なぜなら、随分久しい間、わたしは、自分が少女時代の五年間を暮した学校と縁がきれていた。ざっと十年以・・・ 宮本百合子 「歳月」
出典:青空文庫