・・・八月、岩手、秋田地方へ朝日主催の自由大学講師として宮本と二人で出席した。九月、四国地方の党会議に出席をかねて旅行した。この年は文化、生産の各場面に民主化のための闘争が起って、十月から十二月のはじめまで、もっとも高い波であった。年・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ 参吉は或る私立大学の講師をしている傍ら、近代英文学の社会観とフランス文学のそれとの比較をテーマに研究しているのであった。「うちの伍長さんだって危いもんだわ」外套のボタンをはずしながら好子が云った。「落着かないわねえ。何万人もが・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・山岸博士の推薦によって早稲田大学の講師となる。 一九一八年。記すべきほどのことなし。ただかなり真面目に勉強し続けていたので、肚の中に何かが漸く発育し始めたような気がする。 一九一九年。「津村教授」を帝国文学に発表。一行の批評も受けず・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・田中、得能、紀平などの諸氏は、当時東京大学の哲学の講師の候補者であったらしい。西田先生はその八月の末に東京に移られたが、九月には井上、元良、上田などの諸氏としきりに接触していられる。そうして十月十日の日記には「午前井上先生を訪う。先生の日本・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
・・・成瀬氏は大学卒業後まだ間のないころであったが、すでにドイツ文学の講師となっており、同僚の立場から先生を見ることができたのである。氏によると、先生は非常にきちょうめんで、大学の規定は大小となく精確に守られた。同僚の教師たちがなまけて顔を出して・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫