・・・その中で頭の上の遠くに、菱の花びらの半ばをとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の鏃のような形をしたのが槍が岳で、その左と右に歯朶の葉のような高低をもって長くつづいたのが、信濃と飛騨とを限る連山である。空はその上にうすい暗み・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・当時、溝の側から貝塚まで乗せて三十六銭が相場で、九十銭くれれば高野山まで走る俥夫もざらにいた。 しかし、間もなく朦朧俥夫の取締規則が出来て、溝の側の溜場にも屡しばしばお手入れがあってみると、さすがに丹造も居たたまれず、暫らくまごまごした・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 先住民族は貝塚を残している。彼らの漁場はただ浜べ岸べに限られていたであろうが、船と漁具との発達は漁場を次第に沖のほうに押し広げ同時に漁獲物の種類を豊富にした。今では発動機船に冷蔵庫と無電装置を載せて陸岸から千海里近い沖までも海の幸の領・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫