・・・一例を挙ぐれば、現代一般の芸術に趣味なき点は金持も貧乏人もつまりは同じであるという事から、モオリスは世のいわゆる高尚優美なる紳士にして伊太利亜、埃及等を旅行して古代の文明に対する造詣深く、古美術の話とさえいえば人に劣らぬ熱心家でありながら、・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・金を積んで、貧乏人を圧迫するのを道楽にするような人間より遥かに尊といさ」「尊といかも知れないが、どうも饂飩屋は性に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となって見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨んでも後の祭りだから、まあ、我慢し・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なので・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・どうせ貧乏人は皆くたばるのだ。皆そう云っていらあ。ひどい奴等だよ、金持と云う奴等は。」「なぜぬすっとをしない。」爺いさんが荒々しい声で云った。 この詞は一本腕の癪に障った。「なに。ぬすっとだ。口で言うのは造做はないや。だが何を盗むの・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・の問題――貧乏人でなければ、或は労働者でなければ新しい社会の建設やその文学に参加出来ないものであるという風な考えかたが、わたしに納得ゆかなかった。納得ゆかなくてもそれを発展させるような理論はもっていなかった。無産派の運動にとってわたしとわた・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・ 彼は下さる物は、自分のような貧乏人にとって不用ないはずはないことは知っている。 けれども……何だか品物などでお礼をされるには及ばないほどの満足が彼の心にはあったのである。 そして物なんか貰ってさも俺の手柄だぞという顔は、とうて・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 貧しいと云っても比較的東京の貧乏人よりは何かが大まかで、来た者に何かは身になるもの、例えば薯の煮たの、豆のゆでたの、餅等と云うものを茶菓子に出すので、家から家へと泳いで廻って居るこの人等は三度に二度は他人の家で足して居られるので、孤独・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 貧乏人町東端の方からやって来るところには一本の円柱もない。見上げる石壁が平ったく横に続いてるだけだ。が、山の手から来ると人はあらゆる地上地下の交通機関とともに必ずこの英蘭銀行三角州につき当った。八本の大円柱の上の破風にはANNO―EL・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・Proudhon は Besanベサンソン の貧乏人の子で、小さい時に、活字拾いまでしたことがあるそうだ。それでもとうとう巴里で議員に挙げられるまで漕ぎ付けた。大した学者ではない。スチルネルと同じように、Hegel を本尊にしてはいるが、ヘ・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・ためにする気持ちが全然なければ、相手が金持ちであろうと貧乏人であろうと、大臣であろうと小使であろうと、少しも変わりはない。――ちょうどこの言葉に現わされているような態度を、私は実際に目の前に見るように感じた。 滝田樗陰のことで思い出・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫